« 福田さんの政策、拉致、北朝鮮問題 | トップページ | リヤカー 時代とともに消える品々 »

2007年9月25日 (火)

親も しょせん 子供のなれの果て

Hitokoto 今から10数年前の投書だったと思うが、気になって切り抜いておいたものだ。そのころ、話し合える友達を求めて「話し方教室」に月一回行っていた。

そこでは、人前で話しをする練習を指導していた。テーマはいろいろあるが、いつ何が出てもいいように、話のタネを集めていた。人の前に立つ職業の人は、自然に訓練されてしまうが、そうではないと、努力していないと、話題が狭くなる。

☆読み始めたら、ここで木戸銭としてクリックしてね!
   ↓   ↓ 

人気blogランキングへ
  nozawa22ブログ順位がわかる

カードに思いついたり、気になる単語、記事を切り抜いて残していた。ほぼ100枚を越すと、だいぶ話題が増えたという意識ができる。そんなカードが日曜日掃除をしていたら、出てきた。現在でも使えるものもあるので、そこからまず1枚「傷ついたひとこと」を取り上げてみる。

実の母でさえ、「もともと私は、子供は嫌いだ」と娘に向かって言う。しかし、言ったとしても、実の母であることから逃れられない。ひっぱ叩いても、また抱きしめられて氷解するだろう。

私の母は、私が6歳の時に父の再婚した相手で、その上子供嫌いだった。しかも性格が勝気で、子供に向かって気に入らないことがあると、怒鳴るのは茶飯事だった。私は、愛されている意識が持てなかった。

Photo この投書の女性がいう、幼いときに愛情を注がれていないと、人の好意が信じられないのだ。どれが好意で、どれがそうでないか、さっぱりわからない。これを言っても、愛情に恵まれて育てられてきた人には、多分理解され難いだろう。

まあ、今では私の母親は既に黄泉よみの世界に行ってしまったし、私自身がそのイジワルや怒鳴っていた頃の母より歳が上になってみると、なんでああなったか、わかるような気もする。

私の母も、実母がいなくて、ママ親に育てられて、イジワルをされて育っていたのだった。可愛がってもらった記憶がない人には、愛情を注ぐということはなかなか素直にできないのだ。

よく「ここの子(野沢の子供)は、なつかない。子供はなつくものだ」と言っていた。大人の側から親しく接してくれないと、子供は飛び込めない。そんな簡単なことさえわからないのか、と子供心に腹が立った。

「ここの家は、ワシの家や、早よう子供は出ていけ」と、怒鳴る声をよく聞いた。権利書では母の名前で登記してあった。父が結婚の条件にでもしたんどだろう。こんなひどい言葉を浴びせられて、愛情を持つことの難しさを痛感した。

義理ではあったが、母とは40年に渡る親子関係が続いた。コレでも、私が兄弟姉妹の中で、一番折り合いがよかっただから、他は押して知るべし。町内では、かなり「そのキャラが立っていた」親であった。その点、よく知られていた。だからと言って、誰かが助けてくれるわけではない。

生育歴から、私は、多少のキツイ人に出会っても、母よりはいい、と思って耐えられるという妙な免疫力を持っていた。性格のひがみ根性を直すのに時間がかかった。未だになおっていない。普通に見えるように振舞う、これが私の「終生の課題」であると思っている。

母が死んだ平成元年、母と過ごした40年を 昭和と母への決別 として「ふだんぎ」(千葉)に投書したら、後妻に育てられて苦労したという手紙を、多くの方から貰った。後妻に育てられることのトラウマか、心の傷を抱えている人は多いものだと、思った次第である。00008 

育児ネグレクト 秋田の例    第五福竜丸のマグロを食べた家  子育てイライライ どうするの?   親も しょせん 子供のなれの果て

☆今後とも、励ましクリックよろしくね!
   ↓   ↓

人気blogランキングへ  感想をコメント欄↓へお書きください。

|

« 福田さんの政策、拉致、北朝鮮問題 | トップページ | リヤカー 時代とともに消える品々 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 福田さんの政策、拉致、北朝鮮問題 | トップページ | リヤカー 時代とともに消える品々 »