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2007年8月17日 (金)

捨て子64歳になっても 今も親を待つ

Photo_2 よく読んでいくと、昭和17年7月上野公園のベンチに置き去りにされた赤ちゃんだった人の投書だった。

肉親が誰もいない天涯孤独の人生だったことを思うと、耐え難い気持ちになる。誰か彼の気持ちを察してあげてよ、と叫びたくなる。

人生のどこかで親から捨てられた気持ちになる人の深い苦しみ、悩み、これを察して上げる機関がどこにもないのは不条理な気がしてならない。

個人的な問題ではあるが、何か手はないかと思う。先日、テレビで孤児院で育った26歳だったか、女性が妹を探している32歳の男性と会ってよいものか、という相談があった。

判定役のタレントが10名くらいいたが、会ってもいい、会う必要ない、半々だった。

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番組デレクターが調べて、兄と称する人とコンタクトを取って、会ってみて、その上、兄という人の戸籍と番組に相談してる女性の戸籍を合わせ兄妹と判定されて、会うことになった。

番組的に盛り上げもあるだろうが、二人はやはり兄妹だった。兄は父に引き取られて、妹は孤児院に入れられた。兄は妹の世話をして可愛がっていたから覚えていたが、妹の記憶から兄が消えていた。孤児院では、母も父も死んだと教えられていた。

兄は孤児院に電話して問い合わせても、妹に会わせる機会を拒んで、音信不通にさせていた。母はアルコール依存症で子供の面倒を見られない状態。それで妹を孤児院に預けた。兄も働き始めて母と会いたがらないようになった。母が死んで、父と一時一緒にくらしたが、その後、兄を置いて行方不明になった。

兄と妹の再会させるか、判定役の梅宮アンナの父辰夫は、あの大きな体して、耐え切れず涙を流している。殆どの人が泣いた。それでめでたしめでたしで終わりかと思ったら、「お父さんの居場所がわかりました」と報告で父が入ってきた。

顔はモザイクで隠されていたが、天涯孤独同士が家族、ここで父兄妹3人が再会できて、父が「生きていてよかった」とつぶやく声が聞こえた。兄と妹のダンナが握手していたのが、映っていたが、よかった。これから仲良くやっていけたら、いいな、と思った次第だ。

いつも仲良く過ごせるとは限らないが、血のつながりがある家族がいることは力強い。

Tp51001ku 水上勉の長男窪島 誠一郎(くぼしま せいいちろう 1941年(昭和16年)-)は幼い頃、事情はきっとあるだろうが、明治大学前の靴屋の夫婦に貰われる。そこで可愛がられて育つが、なんとなく違和感を感じていたという。

小柄両親に自分が大柄で、両親に聞いても、本当のことは教えてもらえないが、ついに父水上勉と会っても、しっくり来ない初対面だった。水上勉は自分の長男と会って別れるときに、自分の作品集を渡す。そんなシーンを新聞で読んだ。

Mizukami_ben 水上勉 何十年も親子が別れて初対面のように会うのは、なんだろう。どんな気持ちだろう。実母は、1999年自殺。長男窪島 誠一郎が世に現れてからか。この時間的な推移は知りたいものだ。

自分がこの長男を手放したことへの罪意識は、忘れている間はいいだろうが、はっきりと自分を探しているとわかれば、母なるがゆえにきっと父の戸惑い以上の苦しみがあったのだろうと思う。

私の母の姉は、中津の町で、子供女女男3人残して、家を出て、落合で別の人と結婚して4人の子供を生んだ。その中津に残された娘、70歳を過ぎていたが、孫のある年になっても「母がいなく寂しかった」と一言、私に言ったのを聴いた。

窪島 誠一郎 1964年(昭和39年)に小劇場キッド・アイラック・アート・ホールを設立。1979年(昭和54年)に長野県上田市に信濃デッサン館を設立。1997年(平成9年)に同地に無言館を設立した。

太平洋戦争に出征した画学生や夭折した画家の生涯を追った著作や、父の水上勉との再会や晩年を語る作品で知られる。

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コメント

"人生のどこかで親から捨てられた気持ちになる人の深い苦しみ、悩み、これを察して上げる機関がどこにもないのは不条理な気がしてならない。"
ありがとう。


投稿: KEALLEJ | 2007年9月11日 (火) 23時34分

係累が誰もいないというは、深い寂しさがあるだろう。察してあげたいが、私の個人では、何もできないもどかしさがある。

まずは、自分を大切にして、次に家族を大事にする生き方をしたい。それが平凡だけど一番大切にした生き方ですよ。人間、それ以外に人に尽くす生き方って、どうもうそ臭い。

自分を大切にして、隣人である家族を愛する、これが全ての基本だと思う。

投稿: 佐倉藩を知る者02 | 2007年9月12日 (水) 00時39分

個人的な問題ではあるが、何か手はないかと思う。先日、テレビで孤児院で育った26歳だったか、女性が妹を探している32歳の男性と会ってよいものか、という相談があった。

投稿: 孤児院 | 2011年10月22日 (土) 11時49分

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