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2007年7月20日 (金)

疾風のように駆け抜けた彼 6

Zyounenn01_3Z氏 十数年ぶりに上京して来たのは、平成2年4月だった。そのとき、彼はもうすでに人生のモニュメント、バゴダ(戦没者、病没者慰霊塔)をビルマ(ミャンマー)に作ろうと活動を始めたときだった。バゴダは「戦場にかける橋」のあの橋の近くに立てた。よくやった、彼に生きた証になった。

寄附が集まらないから、四苦八苦していたのだろうが、私の前では弱音はヒトコトも吐かなかった。かの地(ビルマ)で戦友を亡くした旧軍人にとっては、我がことのように感じる人は少なからずいた。

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市内には第一中学、第二中学、坂本中学、苗木中学、福岡中学があった。その生徒会長の集まりが市内で便利な場所にある第二中学で会合であり、彼が司会していた頃が一番晴れやかだった。その後が、これに比して、どうも満足しないと思っていた。

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昭和34年に、彼が文京区大塚仲町の新聞販売店に住み込んでいる彼を探しあて、別の友人T氏と三人で会った。彼があまりに痩せていたので、新聞店をやめるように勧めた。私は近くにアパートを見つけて、約半年彼と一緒に暮らした。アパートから歩いて行ける零細工場に勤め始めた。

その後、栃木の病院に勤めていた兄に相談して、彼の胃の手術を依頼した。

放浪の生活で、彼の体は衰弱していて、入院当初はからだの回復に数ヶ月かかった。その病院で手術して、その後中津に戻った。旧中津川病院へ再度入院して、胃下垂した腸の働きも元気を取り戻した。健康になったのち、すぐまた故郷の故郷から行方不明になった。

それから、再会するまで数年あった。手紙も貰わなかったので、このことは後に知った。多くの友人は、彼は死んだと思っていた。彼が全国を放浪した時期だった。自暴自棄で死をも覚悟していた。着ているコートも質屋に入れて、無一文になっていたこともある。

彼が再起したのは、パン屋の配送をしているとき、埼玉県のある町で寺の梵鐘を聞いて、一念発起して、仏教に目覚めたことからだ。その鐘の鳴った寺ひ行き、住職に本堂で座らせてほしいと頼んだ。そこで、数時間ずっと座っていて、決心したという。寺の住職もきっと、ヘンな人が来たと思っただろう。今となっては、その寺はどこか、不明である。

その日のうちに、パン配送の仕事をやめた。こういうところは、他人の迷惑を考えないで、決断だけは早い。その次の日には、本屋へ行って、仏門の参考書を数万円分買った、といっていた。次に、専門学校を調べ、それで京都の仏教専門学校に入った。そこで水を得た魚のように、勉強した。同窓の仲間は多くは全国の僧院の後継ぎになる子弟、あまり学習意欲がない「デモシカ学生」だから、彼は目立った生徒だった。教授に目を掛けられた。その後は、島根県大田市の某寺のムコ養子に。

彼にとって、世に出る自分の仕事が見つかったという思いで勉強した。手ごたえのある仕事、コレがしたかった。30代のはじめから学校へ行き、今までの放浪生活から脱却し、先生にも認められる存在になった。手八丁、口八丁の熱心な僧侶であった。

家庭を持って何かする、このバランスを忘れて突っ走る彼には、徐々に夫婦間に溝ができたようだ。町内のマラソンをしたり、健康そうに振舞っていたが、胃のサイズが普通の人の半分以下しかない。そう長生きはできないと、自覚していた。

バイクで数メートル下の田んぼに転落して病院に入院したときも、気弱な文章で連絡をくれたことがある。強がっていても、誰かに支えてもらいたかった。胃の弱いのは自覚していたが、怪我が重なり、寿命に対する危惧もあっただろう。

京都のお寺さんの学校へ行ってから、一度も東京へは来ていなかった。順調に僧侶になれてよかった。養子として寺へ入る事ができて、そこでうまく仲良くできればよかったが、小さく養子、ムコという形では収まらなかったのが、一つのつまづきだったかもしれない。

後継ぎ僧侶になろうとする二代目が多く、そんな中では、彼は目立つ存在であった。後継者のいない山陰の寺は多いらしい。教授の本家の寺は娘しかいないので、婿が欲しかった。

十数年ぶりに東京にやってきて、私の駅前教室で数時間談笑して行った。彼の体調は、そのときは、一番充実していたようだった。パゴダ建立の寄附集めで無駄なカネは使えなかったときだが、気前のいい彼は、近くの不二家へ行きケーキを買ってきた。

バゴダより家庭を大事にしろ、それが『生活、人生』の基本だろ、としつこく言ってしまった。それができたら、プラスアルファーの活動がやれるんだ、といったような気がする。

しかし、彼の人生時計は、「時間がない、時間がない」と急かせているようだった。結局そうなった。中津川市には、市立中学が相当数ある。

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コメント

彼があまりに痩せていたので、新聞店をやめるように勧めた。アパートを見つけて、約半年一緒に暮らした。

投稿: | 2010年9月19日 (日) 11時22分

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