« 日本日記クラブ第43回総会で解散 | トップページ | 疾風のように駆け抜けた彼 6 »

2007年7月19日 (木)

日記とブログの違い、注意点

S29 日記の歴史(中学生日記) 日記は読者を想定していないから、まったく禁止事項がない。日記では、人の悪口を書こうが、個人情報を暴露しても、誰も文句を言ってこない。公開していないから、それは当然である。そこでは、誤字脱字、勘違いの修正はしても、しなくてもいい。気ままな態度のままで、誰に文句を言われるわけでもない。ストレスの発散の場になる。これを覗かれると、逆に、それは大変だ。

1blog ブログの歴史(第1位記念、今年7月) ブログは、自分の日記であるが、読者がいる。その違いが大きい。長所と短所がある。と、すべてを自分で解説する責任はないが、気づいた点を気ままに書いてみる。

☆読み始めたら、ここで木戸銭としてクリックしてね!
   ↓   ↓

人気blogランキングへ   nozawa22ブログ順位がわかる

S40 日記の歴史(昭和40年) 「ブログは嫌いだ」と語る人に出会ったことがある。ブログは、きちんと語っていない。緻密ではないし、不完全。それでいて、すべてを語っているように装うから好きではない。ホームページの方が正確に伝えている、という。何か、わかるような気がした。

確かに、ブログで正確な情報を伝えていくのは、困難かもしれない。しかし、真実に近づくきっかけにはなりうる。その程度の気持ちでいいのではないか。あまり、大上段にブログ論を語っても、あまり益があるとは思えない。少し、いろんな物事のとば口になれば、ブログは役目を果たしていることになる。

H04 日記の歴史(平成4年) ブログは、自分と他の人とのコミニケーション架け橋になる。これは大きい。しかし、架け橋の上で、人と人だから、いつもいい関係とは限らない。揚げ足を取るコメントを書く人がいる。ブログでは、不愉快なことにも、耐える必要がある。

例えば、他人からの中傷、ほんの一回のコメントでも気分が悪くなる。書く方に原因があると言えばいえるが、一人ならずもこれが連続で攻撃されたら、大抵の人なら気分が滅入ってしまう。

ブログを廃止するのは、他からの誹謗中傷が原因であることが、一番多い。他人のことを書くとき、注意が必要。特に身近にいる人のことは勝手に書けない。写真も載せては、嫌がる人がいる。

イエスマン的なコメントしか取り上げないブログもある。コメントの許可制にしているはそのためだろう。まった、まったくコメントは禁止しているところもなる。某社民党代議士のブログは、国会の報告、意見を搭載しているが、コメントは受け付けない。きっと賛否、意見が多くて、それにいちいち反論や意見していたら、収拾がつかないのだろう。自分の意見の報告の場にしている。

S26日記の歴史(小学6年日記始めた頃) 反論コメントが感情的な攻撃になりがちな風土が日本社会にある。身を守る手段として、議論の場としてコメントは受付ない。それが賢いのかもしれない。オープンな意見交換の場にしたいと個人的には思っても、姿の見えない人を相手にするのはかなりの骨折りである。「ネコを追うより皿を引け」と、なりがちだ。

個人的な周辺雑記を書いて、多くの仲間のコメントで賑わうブログもある。その場合は、意見ではなく、ご近所挨拶、お天気挨拶のように親しみが重要になる。仲間、身内的な意識で愛称で呼び合う共有意識、そこまで高まると、仲良しサロンになるようだ。

ここには日本社会の特徴が見える。身内、ムラ意識、この中にいると居心地がいい。情緒、肌感覚、雰囲気、空気、一体感のある場では、とんがった意見は嫌われる。「きょうは、お暑うございます」「朝から暑いですね」「本日はいい天気で」と挨拶しているのに、「見ればわかる」とぶっきらぼうな言葉では挨拶にならない。自他の区別は二の次、和の国、日本の特徴かも。

とにかく、天気とか、趣味とか、角がないテーマの話しなら、いい。これが、賛否両論ある話題では、難しい。社交の場では、宗教、政治の話しはタブーだ。そういう議論をするのは、野暮ヤボ、といったものだ。

ホロっと来る話なら、誰も文句はない。しかし、人が食いついてくる話しは違うものだ。NHK「どんと晴れ」のような世間に知られている話しはヒットが多い。それは問題ない。

ところが、雑誌にしても、テレビ番組にしても、人が食いついてくる話題は、もっとえげつないものだ。ブログでもそうだ。本来、人は他人の不幸が好き、これはブログ上では数字ではっきりしている。事件の真相を知りたい、といえば聞こえがいいが、人間はヤジウマである。そういう記事を書いていると、ヒット数が多い。本心の欲求ニーズがあるようだ。

当ブログの中で、過去数ヶ月で飛びぬけてヒット数が多かったのは、①松岡農水大臣の記事である。大臣の自殺が起きたとき、その数にびっくりした。関連記事へのヒット数がググット伸びた。通常、nozawa22全体でも、一日で500件から700件が限界なのに、1時間か2時間で3000以上の人が私のブログに集まった。一時間のうちに何千の閲覧数に達したのには、事件がショックの大きさは私の想像を超えていた。

②敵対意識の強い記事、偽ブランド、偽ディズニーランドなど中国の問題。拉致問題の北朝鮮の記事、共同の敵を目の前にすると、日本人意識に目覚めてか、この系列記事は根強いプッシュを感じる。多分、一方的な国民意識に刺激を与えるようだ。

③某宗教団体、某政党の真相に迫る記事には、追求賛成派組織防衛派の両方から関心を持たれる。これは、日本政治の火種で、これに触ると火花が散る。今後も、宗教と政治は関心を持って見て行かなければならないが、下手すると、火の粉がかかる。この政党の暗部を知りたいという人が多い、と感じる。

暗部ではないかもしれないが、④皇室関係の皇女のご乱行を報じた記事を紹介すると、日本の皇室の乱れ、それに食いつく人が予想外に多い。皇室に尊崇の念を抱く人も多いが、表向き言えない部分への関心も多い。ちょっとダーティ部分があると、皇室への反発はこんなふうにあると思わせられる。

平和なテーマで関心が多いのは⑤ハンカチ王子、斉藤佑樹君の活躍は必ずヒットする。

日記の習慣を持っていると、ブログでも書くことに抵抗がない。だから、継続できているのかもしれない。ブログも日記も、書きたいことが一定量たまると放出したくなる自慰行為、そんなふうに見ている。

Alldiary 家庭内で聞いてくれる相手に恵まれている人は、書くという習慣が必要でないのかもしれない。発表の場があると、考えたことを放出できるから、「腹ふくるる」気分は解消できる。日記は書いていないかも、と思う。

鉛筆で書いた日記が始まりで、横書きは中3の正月からで。ワープロフロッピーに保存の時期。日記からブログへ変身したのは、日記の個の部分を共有できる、と思ったがそうではなかった。 

これからまだ、まだ、筆記道具も変わり、書くことへのこだわりも変わっていくだろう。インターネットの発達により、個人が表現する自由が広がったことだけは確かである。日記で書けたが、ブログでは書けない、制約はあるが、その枠内なら、多数の読者に伝えることはできる。

何を伝えるか。何を優先して書くか。古くならない出来事を書きたい。多くの人が読みたがることを書きたい。底流となるのは「不易流行」かな。00008_2

日記とブログの違い、注意点 日記とブログnozawa22 何を伝えるか     日記クラブOB会予定   クラブ創世記 青春時代 総会予告 41回目の集い 回覧誌 再建計画  友だち作りに  日本日記クラブ歴史41年 閉幕  

☆今後とも、励ましクリックよろしくね!
   ↓   ↓

人気blogランキングへ  感想をコメント欄↓へお書きください.ブログ村 nozawa22 ←クリック

|

« 日本日記クラブ第43回総会で解散 | トップページ | 疾風のように駆け抜けた彼 6 »

コメント

インターネットの発達により、個人が表現する自由な場が広がったことだけは確かである。日記で書けたが、ブログでは書けない制約はあるが、その枠内なら、多数の読者に伝えることはできる。
 何を伝えるか。何を優先して書くか。底流となるのは「不易流行」かな。 古くならない出来事を書きたい。多くの人が読みたがることを書きたい。

投稿: nozawa22 | 2011年9月 3日 (土) 11時07分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 日本日記クラブ第43回総会で解散 | トップページ | 疾風のように駆け抜けた彼 6 »