« 創価学会 告発投書の大反響 | トップページ | 光電話、転送電話の操作 »

2007年7月13日 (金)

大宅壮一と奥さん スカウト結婚

Ooyusouiti 大宅壮一の妻昌さんが死んだと週刊新潮6月14日号に載っていた。

昭和6年、大宅壮一が富山で講演に行ったとき壇上から一目ぼれして、彼女を講演後、座談会に出るようにメモを渡し、住所を聞き出したのだろう。彼女は当時、小学校の先生をしていた。

それから、手紙を連日出して口説き落としたのだそうだ。ところが、妻の実家では、『大宅は左翼だから』と大反対された。昌さん「大宅をこのまま殺してはならぬ」と一人決断して結婚したんだそうだ。

家に入って見ると、居候はいるわ、左翼の非合法会議は開かれるわで、新婚の雰囲気はまるでない生活が始まった。

☆読み始めたら、ここで木戸銭としてクリックしてね!
   ↓   ↓

人気blogランキングへ   nozawa22ブログ順位がわかる

大宅壮一は、この結婚を見合いでも、恋愛でもない、スカウト結婚と称していたんだそうだ。大宅映子談

Ohya 参照 一男三女の母として平穏に暮らしていたが、一番の悲しかったのは、天才といわれた長男が東大ラグビー部で活躍していたとき、頭を強打して、後遺症でその数年後亡くなったことだろう。期待していた長男をなくして相当のショックのはず。ラグビーを見たくないはずなのに、仏壇を開け、ラグビーの試合があるときはテレビを見せていたという。

Shikishi また、大宅壮一という夫は、よく妻をからかっていたし、世間では『恐妻』といったり、妻はたんすと同じであるべきところにあればいいのだ、と言っていた。「一個なのにまんことは、これいかに」というと、妻昌は「珍しくのないのに珍しい棒というがごとし」とやり返した。

男の顔は領収書、女の顔は請求書」というのも、大宅壮一が言い出したのではないか、と思っている。

大宅壮一は、戦後評論活動は止めて田舎で百姓をやる気になったとき「私は、農業をするために嫁いだわけではありません」と断固反対して、大宅壮一が評論家の戦後の活動を支えた。

大宅壮一は、「一億総白痴化」「駅弁大学」とか、造語の天才といわれた。大宅壮一の活躍で、戦後の評論活動は基礎が築かれたと言っても過言ではない。

大宅壮一は、原稿用紙がなくても、頭で文章を作っておき、原稿用紙に向かって書き下ろすと、きちんと、目的の400字、800文字に収まるという名人芸のような人だった、と聞いたことがある。

Mww040503大宅壮一の三女 大宅映子の講演を一度聞いたことがある。あれは10年も前だったが、前日10Ch「朝まで生テレビ」討論を続けて、その足で来て、2時間しゃべって行った。

人の気持ちをそらさない話し振りは大したものだ。人に媚びない、物に拘らない自信はどこから来るのか、それが知りたいと思った。最近は、趣味のゴルフ話しが多いのが、ちょっと問題だだな。

国際キリスト教大学ICU在学中、学友に「オヤブン」と呼ばれていたという話をしていた。大宅壮一の娘なら、さもありなん。亭主や家庭をどうやっているのか、とにかく睡眠時間を削って、会社を経営して、政府の要職を引き受け、八面六臂の活躍をその当時から既にやっていた。三女というから、末っ子だったのだろうか。長男は末っ子?だったのか。00008_192

墓碑銘 坂井泉水の死に『負けないで』 宮沢喜一氏死去 和魂洋才の系譜 羽田健太郎は惜しまれて逝った  松岡利勝農相、午後2時死亡確認 パンパカパーン!横山ノックのわいせつ  わかっちゃいるけど、植木等の死 大宅壮一と奥さん スカウト結婚

 ☆今後とも、励ましクリックよろしくね!
   ↓   ↓

人気blogランキングへ  感想をコメント欄↓へお書きください

|

« 創価学会 告発投書の大反響 | トップページ | 光電話、転送電話の操作 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 創価学会 告発投書の大反響 | トップページ | 光電話、転送電話の操作 »