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2007年6月 8日 (金)

社会保険庁グリーンピアの愚、旧日本軍インパール作戦の愚

Title 社会保険庁の年金に対する意識のいい加減さはどうなっているのだろうか。国民の怒りが徐々に燃え上がって、参議院選挙に大影響がありそうだ。自民党は防戦一方だ。安倍さんのやり方は、矛先を変えるために強行採決ばかりやるから、そこが強調されてしまう。
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民主党の若い党首にした途端、方向を見失った。アレと似てきた。安倍さんは岸信介が60年安保を強行採決した強引さは似ている。系譜だ。

とはいうものの、社会保険庁の責任であって、自民党に責任があるわけではない。別に共同正犯ではないのだから、自民党があせる必要はない。それそふたしようと、妙な法案、救済とか言って一日審議で強硬採決をしようとするから、自民党のやった犯罪かという印象を与える。

85~04年の社会保険庁長官経験者のうち、7人が天下り先の公益法人などから退職金や月額報酬を総額約9億3000万円得ていたとみられることが分かった。今回の問題は、85年に社保庁が自治体に年金記録台帳の廃棄通知を出したことや、80年前後の電子データ化の際の入力ミスなど。政府・与党内からも、歴代の長官経験者に対する責任追及の声が上がっている。組織トップの多くが退官後も厚遇され続けた。【野倉恵】
 社保庁は40年以上前から100万件近くの厚生年金記録不明問題を把握していた。その後も有効な対策を取らず、不明記録は年々増加。自治体への台帳廃棄通知や、電子データ化のほか、97年の基礎年金番号付与の際などにもミスを重ね、現在、約5000万件の年金番号が宙に浮いた状態になっている。
 今回の7人は、いずれもこの期間に社保庁長官を務め、4カ所の公益法人などに17年間所属し、退職金、月額報酬の総計約2億1100万円を得た長官経験者もいる。別の長官経験者は2カ所に天下り、総額約2億800万を受け取った。7人の総額は約9億3000万円に上る。
毎日新聞

Nagatumagiin 民主党が与党であっても、社会保険庁の体質は変わっていないはずだ。民主党が政権とっていなくてよかったかもしれない。年金で老後を生きていく杖になるのは、日本が平和で安定した社会を保つ基礎となっている。北朝鮮にはまったく年金制度はないから、貧しかったら老後死ぬまで安心できない。日本の美風といえる制度であるはず。

Mabuti2 保険庁はデータミス、いろんな失策を繰り返しても、申請主義で国民が言い出さない限り、ボロを出さない仕組みである。記録がなければ、領収書を持って行かないと、認めない。この「公は完璧」という伝統を明治政府が確立した。

アルバイトに入力をさせて、自分たち正職員は過剰な労働はしない。客に対応しないから外からは見えない。管理者と職員組合は協定を結んで、データ入力は一日1万文字までの労働らしい。それ以上はさせないという。ベテランなら、2時間入力すれば、通常1万文字は軽くオーバーする。

この国家公務員は、共済保険で守られているから、国民年金や厚生年金はあまり丁寧に扱わない体質がある。集める方の必死だが、使うほうは気楽に、ハコモノ厚生施設にジョブジャブつかってを作って大シッパイ。数十億の施設を職員の雇用を条件にして、数万円、二束三文で売り払ってしまう。このセンスはどこから出るのか、あきれてモノが言えない。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 
 
グリーンピアは、被保険者、年金受給者等のための保養施設として、旧年金福祉事業団(年金資金運用基金)が1980年から1988年にかけて13ヶ所設置したが、2005年度までに廃止することが2001年12月に閣議決定された。
 引き続き活用されるように地方公共団体等への譲渡を進め、2005年12月にすべてのグリーンピアの譲渡が完了した。

00027_4 譲渡の経緯  グリーンピア(大規模年金保養基地)は、厚生年金保険及び国民年金等の受給者が生きがいある有意義な老後生活を送るための場を提供するとともに、これら年金制度の加入者及びその家族等の有効な余暇利用に資すること等を目的として、年金資金運用基金(旧厚生省所管の特殊法人年金福祉事業団)が、旧大蔵省資金運用部から貸付けを受けて設置し、地方自治体等 に委託して運営していた。

Topg  しかし、民間部門における類似施設の増加など、社会環境や国民のニーズが大きく変化して経営不振になったことにより、2001年12月の特殊法人等整理合理化計画(閣議決定)において、「2005年度までに廃止、特に赤字施設についてはできるだけ早期に廃止する」とされた。
 また、年金積立金管理運用独立行政法人法(平成16(2004)年法律第105号)により、2005年度末までに全国13ヶ所のすべてのグリーンピアを廃止することになった。13ヶ所の内、8ヶ所が歴代厚生大臣の地元であったことなどから、建設利権も指摘されている。

 グリーンピアは、公共的な施設として設置・運営されてきた経緯に照らし、また、地域の状況や周辺の自然環境の保全、雇用の確保を図る等の観点から、できるだけ一括して公共的、公益的な施設として引き続き利用されるように、まず施設所在道県等へ譲渡、それが進まない場合には民間へに譲渡するという方針の下で譲渡を進め、グリーンピア三木(兵庫県三木市)の譲渡により廃止・譲渡がすべて終了した。
 年金保険料1953億円を投じたグリーンピアの売却総額は、約48億円であった。つまり、1/40、一万円を出したら250円にしてしまったのだ。ソレって詐欺だろう。訴えるべきだ。
 グリーンピアの廃止・譲渡が終了後、年金資金運用基金を廃止し、2006年4月に資金運用業務に特化した「年金積立金管理運用独立行政法人」を設立した。

譲渡の状況  年金資金運用基金は、指宿と横浪(民間に売却)以外の11ヶ所を所在地の自治体に払い下げたが、公共利用と10年間の転売禁止が課せられている。南紀(紀南)と恵那(中央高原)を除く9ヶ所で2004年以降、ホテルやレジャー施設が順次営業を再開している。

譲渡した施設

グリーンピア岩沼(宮城県)  03年3月末運営停止。03年11月岩沼市へ。
グリーンピア二本松(福島県) 02年6月末運営停止。04年1月二本松市へ。
グリーンピア中央高原(岐阜県)00年4月末運営停止。04年9月恵那市へ。
グリーンピア指宿(鹿児島県)  02年5月末運営停止。04年9月民間企業へ。
グリーンピア八女(福岡県)     04年11月に黒木町へ譲渡。
グリーンピア久木野(熊本県) 03年5月末運営停止。04年12月久木野村へ。
グリーンピア田老(岩手県)  2005年3月に田老町へ譲渡。
グリーンピア大沼(北海道)  2005年3月に森町へ譲渡。
グリーンピア安浦(広島県)  2005年6月に呉市へ譲渡。
グリーンピア紀南(和歌山県)03年3月末運営停止。05年7月那智勝浦町・太地町へ。
グリーンピア横浪(高知県) 00年8月学校法人明徳義塾へ譲渡。他の地区を04年3月末運営停止し、2005年8月民間企業へ譲渡。
グリーンピア津南(新潟県) 05年9月に津南町へ譲渡。
グリーンピア三木(兵庫県) 05年12月に兵庫県へ譲渡。

保険庁トップだった男が70歳越えて、三、四箇所をわたり定年を迎え、記者の質問に答える。自分のやったことを全然国民の意識とギャップがあることに気づいていない。そのセンスたるや、国に守られた人間のユガミ具合は、まるで精神異常者の発言を聞いているようなものだった。

参考資料  歴代社会保険庁長官 ウィキペディア(Wikipedia)の書き込みはブロックされている。まあ、腹立ち紛れに、石投げるような暴言を書く輩がいるから、それを止めているのだろう。
八木哲夫(1978年12月~1980年5月)
石野清治(1980年5月~1981年8月)
山下真臣(1981年8月~1982年8月)
大和田潔(1982年8月~1983年8月)
金田一郎(1983年8月~1984年8月)
持永和見(1984年8月~1985年8月)

正木馨(1985年8月~1986年6月)

吉原健二(1986年8月~1988年6月)
下村健(1988年6月~1989年6月)
小林巧典(1989年6月~1990年6月)
北郷勲夫(1990年6月~1992年7月)
末次彬(1992年7月~1994年9月)
横尾和子(1994年9月~1996年7月)
佐々木典夫(1996年7月~1998年7月)
高木俊明(1998年7月~2001年1月)
中西明典(2001年1月~2002年8月)
堤修三(2002年8月~2003年8月)
真野章(2003年8月~2004年7月)
村瀬清司(2004年7月~   )

痛みと言うもを知らない。痛みがわからない。元保険庁長官の発言を聞いた。まるで空を掴むような、「悪いと今では思うが・・・」と責任を感じていない。自分で責任を取る?そんな話、どこの国の話?自分とどう関係があるか、把握できないみたいな人が出ていた。

社会保険庁という巨大戦艦を操船しているのに、その意識がない。まるでバーチャルのゲームをやっているような目つきでいる。何千万人の生活を守るという重みを感じていない。

トップ官僚になったのだから、東大出のキャリア組の一人なんだろうが、完全に生活から遊離している。こんな男が官僚で我々が支配されているのか、そう思うとガックリくる。

こういう男が官僚には多いのかもしれない。戦前の軍人にもいて、作戦を立てていた。庶民、一兵卒の命はなんとも感じない指揮官がいる。インドネシア半島で作戦を立てた参謀は、負け戦を強行して、死ななくてもいい兵士をあアタラ殺して、終戦になると知ると、参謀はさっさと飛行機で逃げ帰った。

インパール作戦(白骨街道) 第2次世界大戦中インパール(インド東北の辺境、マニプール土侯{どこう}国の首都)作戦ほど悲惨な戦闘はなかった。作戦開始以来第15師団および第31師団には1発の弾丸も、1粒の米も補給されなかった。無謀極まりない東条の作戦開始であったが、その撤退の決断も遅すぎた。

  大本営が第15師団に退却命令を出した1944(昭和19)年7月15日は、時すでに雨期に入っていた。日本軍の、ぬかるみの中飢えと寒気と英印軍の追撃に苦しみながらの退却は凄惨をきわめた。ジャングル内の道は、軍服を着たまま白骨となった死体が続き(戦死および戦傷病で倒れた日本軍兵士は72,000人。生き残った兵士はわずか12,000人にすぎなかった-『決定版昭和史第11巻138頁』)、兵士達はこの道を「靖国街道」・「白骨街道」と呼んだ(『新聞集成・昭和史の証言』第18巻333頁)。

  食料・弾薬の補給が全くない状態で、雨期をむかえようとしていた時、第31師団長佐藤幸徳は、独断でコヒマへの撤退を命じ、5月には第15軍司令官牟田口廉也(むだぐちれんや)のコヒマ死守の命令を無視、コヒマを放棄して補給可能地まで退却した。この判断は全く正しく退却した部隊は助かったが、佐藤は直ちに罷免され、敵前逃亡罪で軍法会議にかけられたそうになったが、「精神錯乱」を理由に不起訴処分となった(『新聞集成・昭和史の証言』第18巻499頁)。

公務員の無能は罪が重い。国家公務員という無風地帯にいる人間は、腐ってしまうと、一般市民に影響が大きい。今回、社会保険庁のデータ5000万件を一年間で突合して洗い出し・・・とできっこないことを言い出し、選挙を過ぎ、人のうわさは75日、と嵐の過ぎるのを待つ姿勢。

0723131ldp 厚生副大臣の大村(愛知選挙区)が論陣をはって、制度をよくしようとしているのだから、と抗弁する姿が気の毒というか、自民党が出るマクではない。厚生省の役人が出るべきだ。

自衛隊の幹部にもこういう現象が起きないとも限らない。防衛機密を自分のパソコンに入れて、中国人彼女経由で漏洩している。そんな情報は中国で喉から手がでるほどほしい。そんなユルユルの綱紀の防衛省、その下に生きてく国民の悲劇。

公務員は国民を大切にしてくれないでは、悲しい。公務員は使命感、国家より国民に奉仕挺身するマインドを持つ人がなってもらいたい。平凡な結論でおもしろくないが、1年間一日10時間労働で、5000万件を入力し直すとしたら、(労働日数は300日)として毎日毎日17万件だ。一日8時間労働なら一時間で2万件強だ。一人でやるわけではないが、毎日2万件処理することになる。

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コメント

年金 はじまり はじまり物語:
社会保険庁の愚グリーンピア

投稿: グリーンピア | 2013年10月17日 (木) 19時36分

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