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2007年6月 1日 (金)

杉原千畝の中津小学校修業証書 

Tsugihara ここに一枚の写真がある。修業証書である。「杉原千畝」小学1年生の修業証書だ。

明治40年3月に、杉原千畝は、岐阜県中津川市の小学校で修業証書を受けている。あのリトアニアでユダヤ人に日本への通過ビザを発給し杉原千畝が中津にいたのだ。そういうことが、中津にはあったのだ。

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Photo_1 この日本を通過滞在するビザは、人道上の個人信条から政府の方針に反しても発行したのが、かなりドラマティックに喧伝されている。事実、何千人ものユダヤ人は助かった。

日本大使館の役目は、ロシアの動向だった。ロシアと日ソ同盟を結んでいながら、外務省はソ連を疑っていた。その動向は、ソ連が日本に敵対行為をしないというのが、杉原千畝の報告だったが、それが外れるという失態をしたから、冷遇されたとする見方をする人もいいる。

中津にはまだ遺跡みたいなものがある。かつて、ホリエモンが買ってくれないかというほど寂れている「笠松競馬場」赤字地方競馬場の代表だが、ここは、かつて昔中津にあった競馬場が赤字で困っていたのを引き取ってくれたのが笠松であった。

競馬場は、西山にあって、小高い赤土の平地である。今はかなり開拓されて畑に供与されている。中津商業高校ができてから順次宅地化されようとしたが、水がないから、そこが難点かもしれない。競馬場を廃止したのち、畑として、市が市民に貸していた。

00004_map 昔、競馬場のあるころ、熊崎公平先生の家は場内で焼き芋を売っていた、という、話を聞いた。赤字で廃業というか、笠松に競馬開催権を譲渡してしまったが、かつては、華やか時期もあったんだ。寂れた西山へ畑を耕しに行っても、ケイバジョウという響きは競馬場というイメージに結びつかなかった。 

競馬場も、杉原千畝も、もう誰も思い出されることも少ない。杉原千畝は八百津ヤオツの名誉市民になってしまい、中津がふるさとと言い出すのも恥ずかしいくらいの関係しかない。00008_170 

杉原千畝の決断 TVドラマ   杉原千畝の中津小学校修業証書

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