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2007年6月30日 (土)

太田光の妻は松永弾正久秀の子孫

Photo_25 松永弾正久秀は、織田信長が天下統一のために京都に進出してきたとき、味方をしたかと思えば、反逆して、つかみ所のない行動をした。戦いはうまいが、人徳がない。そんな印象がある。松永彈正久秀 ←略歴

久秀の幼い時期は、戦国時代の常で出自はわからない。美濃を奪った斉藤道三と知り合いであったとか、よくわからない。

著者の黒部亨、始めて知る作家であるが、松永久秀は京都に乞食か盗賊だと描いている。さもありなん。そこがわからない人の伝記のおもしろさだ。

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Matunaga01   洛中何か所かある浮浪者だまりがあった。東寺界隈を縄張りにしているたまり場に耳助は所属していた。

仲間は年齢性別もつかない宿無しばかりがざっと三十人。男は下帯のほかには尻切れ半纏のようなものをひっかけ、胴を荒縄でまいている。女は寸たらずのぼろ小袖一枚で身をくるんでいるだけで、男女とも髪は伸び放題に背に垂らし、草履をはいていればましなほうだ。所持品といえば包みか袋がひとつ、ほかには物乞い用の菰かむしろが一枚。

著者の描写がまるで見てきたような様子で生き生きと書かれていて、これはおもしろい。ひきつける文章になっている。室町時代末期のすさんだ時代風景がよく描かれている。

寺に入って、寺の住職と妾のいい女との経緯などはホホウ、耳助という幼名の話はいけていた。

この調子で最後まで引っ張っていけたら、最高の作品になる。この時代を書くときには、綿密な時代考証必要。史実がわかる部分になると、その史実に引っ張られて、ウソは書けない。

Matunagadmokuziこのあたりは、歴史上ではまったくわかっていない部分で、著者の創作でしか描けない。その後、久永と称して四国の三好家に仕える部分につながる。そこへ来て、今までの奔放なタッチがやや史実に逆らえないから、窮屈になっている。二章で山中で道を失い、猿に教えられるような話は、ちょっとムダな印象がする。B_1

爆笑問題の太田光の妻である太田光代(旧姓・松永)は、松永弾正久秀の子孫である。

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