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2007年5月24日 (木)

吉田茂の流儀 決断と迷い

Asotaro麻生太郎の「吉田茂の流儀」 を読んだ。

吉田茂の死んだときは、国葬だということで、学校を休みにした。彼に一番の功績は、講和条約を結んで、占領された日本を独立国にした点だろうと思う。

講和条約と同時に安保条約を結んで、アメリカの配下に日本を置いた。その際、吉田茂は、全権大使の一行の誰にも責任が及ばないように、池田勇人、宮沢さんには署名をさせなかった。

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20051020yoshida この決断が非難されると思っていたことは確かだろう。アメリカにべったりで、日本を守るという選択は、当時の社会党は健在だったから、野党は強かった。特に、講和条約については、全面講和と言って、ソ連や中国との和解なしに、見切り発車を反対した。

吉田茂は、どういう含みで、アメリカ、ヨーロッパと先に講和を結ぶか、全然説明をしていない。このやり方、まあ国民のためには結局なっているが、説明抜きがから、ワンマンだと批判されていた。大磯の別荘か自宅が知らんが、そこまでの道を高速道路並みの道を作って堂々と走らせていた。「ワンマン道路」と呼ばれていたし、そこの行き帰りを葉巻をくわえて悠々としていた。

Img46_061215 吉田茂は、外交官上がりに人だから、政治家に歯なる予定はなかった。それが、戦後の自由党は鳩山一郎が総裁で首相になる予定であったが、突如、「公職追放」まあレッドパージ?ちがう、戦争犯罪?これもちがうようだな。戦争に協力した人間は公務員から追い出す占領政策がGHQ(General Head Quarter) から出て、一夜のうちに鳩山一郎は一転浪人の身の上になり、吉田茂が首相になってしまう。

国会で議席がないと首相にはなれないから、衆議院議員に立候補する。吉田茂は、人に頭を下げたこともない人だから、立会演説も「頼まれて、挨拶しろといわれるから・・・」愛想も、サービスもない話。選挙民に握手するでもないし、実に無愛想な立候補者であった。吉田茂の個性でもあるが、選挙に媚を売るのは、本来のあり方ではないという信念も彼にはあっただろう。

Shigeru_yoshida それでも高知でトップ当選する。東京の近くで立候補した方が便利だが、参謀が近くだと「冠婚葬祭で雑事にひぱられる。吉田茂はそんなことをやらされたらきっと選挙民を怒らせてしまうから、遠い選挙区がいいだろう」といいうことで、高知にして、めったに帰ることのないようにしたんだそうだ。

愛想は悪いし、反対党の議員が気に入らんことを言えば、コップの水をかけ、「バカヤロー!」と言って議会を解散してしまう。スジが通っている面もあるが、気ままな坊ちゃんの面がすぐ出た。近づいて話をできる人には、よくその風刺、諧謔、ユーモアは理解されている。

「首相は、お元気ですね」「私は、人を食っているから」と受け答えをしたという。麻生太郎なら言えるかもしれないが、それが通る国会議員は今、ほかにいるか?

自民党にも民主党にも、ちまちまと政務費を懐に入れたり、ごまかすような国会議員が多くてね。

Matsuoka 松岡洋右が国際連盟を脱退して国民に大歓迎されて帰国した話、小村寿太郎がポーツマス条約(日露戦争の後始末)でロシアから賠償金も取れず、樺太半分で妥協して帰ってくると、沿道kら石を投げられて、自宅は放火されて・・・こういう話は歴史として学ぶが、麻生太郎は祖父吉田茂から講和条約に出かける数日前に聞いたという。

松岡洋右と小村寿太郎の評価は、相対的で、最初は大歓迎の松岡、非難轟々の小村寿太郎、しかし今の評価はまるで逆な評価である。

Komura 小村寿太郎 講和条約を結んだあと、吉田茂は石をぶつけらる覚悟で帰って来た。親米、ヨーロッパ志向に日本を導く決断をして、これでよかったのか、迷いがあったのだろう。まだ、昭和26年頃は、戦前の思想が濃厚に残っている時代だ。

日本の神国思想の中にも、十分欧米の思想以上によい物がある。それを切り捨てたというトゲが吉田茂の心に刺さっていたのだろう。こう考えるのは今の「私」自身の考えであるが、間違っているだろうか。

復古調の志向に走ろうとする現代、平成の御世に、こちらに行くか、ここに留まるか、その憲法論戦に迷いも躊躇もないような人物の思考の固さを感じる。もっと人間らしく、ヨーロッパの民主主義のよさ、日本大和民族の神がかり思想、いや第三の道もないか、そのあたりを時間を掛けて中学生や高校生にまでわかる、関心がもてるレベルの議論がほしい。一つの選択にはもっと迷いがあっていい。

飛行機が羽田に着くと、吉田茂は窓から迎えに多くの人々が日章旗の小旗を持って迎えてくれている姿を見て、かなりほっとしたようだと書かれている。日本の行く末を選択したことの重さがつたわってくる。エピソードだ。

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