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2007年5月31日 (木)

アジアの風 感じて 加藤登紀子

Tokikokato 加藤登紀子は、学生運動のさなかからデビューしたから、学生たちにとっては、鮮烈な印象がある。

学生運動が盛況だった高校生の頃に東大生の樺美智子の訃報にふれ、心を動かされる。
1965年 東京大学在学中に、第2回日本アマチュアシャンソンコンクール優勝。

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1966年 「誰も誰も知らない」でデビュー。「赤い風船」で日本レコード大賞新人賞受賞。
1969年 「ひとり寝の子守唄」で日本レコード大賞歌唱賞受賞。
1971年 「知床旅情」(作詞・作曲: 森繁久彌、ミリオン・セラー)で、2度目の日本レコード大賞歌唱賞受賞。

同大入学後、アイドル歌手的存在となりつつも学生運動に積極的に参加する。その噂を聞きつけた同志社大学の学生であり、ブント系の「反帝学連」委員長の藤本敏夫にコンサートへの出演依頼を受けるものの、歌を政治運動に利用されることを嫌った加藤は、それを断る。しかし、この件をきっかけに2人は交際を始める。

1972年5月に、防衛庁襲撃事件などで逮捕され拘留の身であった同氏と獄中結婚。「ひとり寝の子守歌」は、塀の中にいる夫を思って作られた、加藤登紀子を代表する曲のひとつでもある。拘留と釈放を挟み、あわせて30年間を連れ添った夫は2002年に死去(享年58)。

東大出身の芸能人も多くなったが、自分の思想を持ちながら、芸能活動を続ける人は少ない。どれも、思想は持たないで、まあ言ってみれば、魂を売って稼いでいる。その手の人が多すぎる。そうでなきゃ、生きていけないとでも言いそうだが、赤い風船、知床旅情、100万本のバラにしても、メッセージがある。問いかける姿勢が感じられる。

音楽活動の方向も、「盛者必滅の理」という単語が彼女の口から自然と出るように、与えられて歌を歌う歌手が多い中で、彼女は自分の意思で歌おうとする方向を示している。だからと言って、それが、押付けであったり、感動を呼ばないでは意味がない。歌にはひきつけるものがなきゃ。エンターテイメントを欠くようではダメ。

昔から、左翼思想を信奉する人が作る絵や芸術は、臭くてね、これぞ平和、これが人間愛・・・誰も反対できないだろう、というクサさがあった。それぶっ壊しても、光るものがあれば、きっと芸術になるはずだ。

00003_18 登紀子ワールドというホームページ、商売商売で食えない。やはり、稼ぐ道具がなきゃ生きていけないが。

nozawa22: 加藤登紀子 遠い祖国

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