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2007年5月 3日 (木)

語り継ぐ戦争体験

War01_1 戦争に行って苦労した人は、もうわずかな人たちになった。自衛権で国を守るとか、独立国として当然と議論をするが、実際に戦う人と議論をリードする人は違うんだから、いい気なもんだ。

二十歳前後の若い人を戦場に送るのは、みんな年寄りだ。戦って傷つくのはみんな若い人だ。政治の動きに無関心でいると、戦場に送り込まれる人を決められていまう。

美辞麗句をなれべて、ニコニコして握手する政治家をチェックしていないと、私たちはニワトリで彼らは飼い主、そんな関係になっている。

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小学生ころ(昭和20年代)戦争が終わって数年経ったころ、年配に人がよく戦場の話をしてくれた。そのころ、年配と思っていたが、あれは30代半ばの人だろう。

満蒙・・・満州や北支のこと、で馬賊を追いかけて銃撃戦になって、手綱を持っていた左手を吹っ飛ばされても気づかないで帰営して馬から下りて気づいた、そんな話を聞いた。それは、話した人が見聞した話だが。そのとき、心臓を打ち抜かれたが、胸にタバコケースを入れていて助かった、とその人は言っていた。

夏の夕方、通りに縁台を出して近所の人は涼んでいた。そこで、戦争から帰ってきた人は、周りの子供に自分の体験話をしてくれた。30代の人が戦争に行って、人も殺したり、味方が死んだり、こちらにいる子供には言い知れない大きなバックが見えて、迫力があった。

町には、催しや縁日には、必ず傷痍軍人が傷付いた足や手、義足、義手を見せて、アコーデオンで「ここはお国の何百里、離れて遠い満州の・・・」と弾きながら、通る人の同情を買っていた。

日本軍軍人が、この体たらく、恥をしれ、と言う大人もいた。軍人が乞食まがいなことをするのは我慢ならない、そう思われても、働くこともできないし、手を失い、足を失い、どうやって食っていくのか、と逆に言われるかもしれない。

帰郷してから、居場所のない人が全国に浮浪していた。町から町を回っている酔っ払いのような元兵隊もいた。見たこともない人がよっぱらて倒れている、と子供が囲んで見ている。そういう人は、家にいられずに行き倒れているのだった。今ならホームレスだろう。

戦争とは、そういう悲劇が、あとから後から出てくる。健全の体の人が、片手、片足失う。命を失うほうが楽だと思うくらい、生きていくのが大変になる。

そんな現実を知っている人が大多数だった頃に平和を願ってできた憲法なんだよ。戦争を知らない人が政治の中心に来ると、日本の憲法は変えたくなるんだね。君たちが背負っていく日本は、君たちが決めればいい。そう言って、責任を放棄していいのか。

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コメント

読ませていただきました。
精力的に書いてください。

楽しみにしています。
kisokatsu

投稿: kisokatsu | 2007年5月 5日 (土) 11時13分

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