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2007年4月14日 (土)

軒先で 朝からヒワが鳴いていた

Lhiwa7_1 当時、トヤ(鳥を取るために作った小屋)で買うと、ヒワ30円、メジロ40円、ホウジロ40円、ウグイス200円 だった。(注意:今はこうした狩猟は行われていないし、もちろん小屋もない)昭和27年のことである。

 わが家の軒先で 朝からヒワが鳴いていた。

Photo_16   昭和二十八年秋から冬まで、本町通りのわが家では二階軒先に吊るした鳥籠に一羽のヒワがいた。全体が薄汚れた黄緑色で、ウグイスやメジロのようにスマートな色ではなかった。しかし、元気よくチュッチュッ、チュッチュッと朝から快い響きで鳴いた。

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Nakatsugawacity 真ん中に中津川が流れる。写真右の森林を上ると前山、恵那山に続く。(恵那山上空から中津川市街地を見る)  秋の日曜日、中学生1年生数人で松田地区から前山の尾根沿いに恵那山に向かった。途中リスが見え隠れした道を一時間ほどせっせと登った。目的地はトヤだった。その日は天気がとてもよく、草の匂いが強くした。

 トヤの周辺には何枚かカスミ網が張られていた。
 網は「野鳥の道筋に沿って張っている」と友達は教えてくれた。そのカスミ網の下に囮の籠を置いて、その囮の鳴き声にひかれて近づく野鳥が一網打尽にされる仕掛けだ。

Hiwa1 ヒワは、私の印象では茶色より濁った緑色だった。 料亭が野鳥料理に出すためにここで野鳥を取っていた。近年、料亭「○宗」K氏から「うちでやっていた」と聞いた。
 六畳もない狭い小屋の中におじさんが座っていた。中学生にはだいぶの年齢に見えたが、今考えると四十代だろうか。

 今は国内で野鳥を取るのは禁止されているが、当時ツグミの焼き鳥は最高の料理だった。中津の中学生には、スズメを取って食うのは当たり前だった。ゴムカン(パチンコ)で打ち落としたスズメを羽毛をむしって焼き、醤油を垂らして食った。あんなうまいものはなかった。食わないのはカラス、セキレイ、ツバメだけだった。
 「ヨーロッパでは、ハトは人の手に乗ってエサをもらう」と聞くと、中学生には別世界の話だった。

 海のある県で「野生の魚」を堂々と取っている。
 ところが、海のない岐阜県では「野生の鳥」を取ってはいけないと言われる。野鳥保護は世界の常識ではあるが、海のない岐阜県には、野鳥を蛋白源として取っていた。捕鯨禁止に反対する我が国、日本が主張する同じ理屈が存在している、と思う。

 トヤの中には、カスミ網でとった野鳥がタケヒゴの籠に入って、いくつか積み重ねて並んでいた。ヒワ30円、メジロ40円、ホウジロ40円、ウグイス200円だった。

「きょうはあまり取れなかった」という中から
「ヒワを一羽」と指さして買ってきた。
 それが最初に買った野鳥である。その後も、トヤへ出掛けてシジュウガラやメジロを買ってきたが、すぐ死んでしまった。ヒワは長生きしたし、よく鳴いたから可愛かった。えさはエゴマと水だけだった。えさは東太田町のえさ専門店で買った。

Tugumi  七、八年後、昭和三十年代半ば、学生時代のことである。
 帰省して東京に帰る日、母からツグミの麹味噌漬けを持たされたことがある。ツグミ一羽まるごと焼いて弁当のおかずにしてくれた。高級料理を奮発して持たせてやった、母としてはそんな意識であっただろうか。

 東京への帰りは、いつものように中津川から松本行き急行に乗っていた。塩尻で乗り換えて、新宿行き中央東線で落ちついて弁当を食べようと思っていた。ツグミの焼き鳥など普段は食べたことがなかったから、食べるのが楽しみだった。

 向かいの人が、弁当を広げる時から見ていた。
 出てきた焼き鳥の大きさに注目しているようだった。それではと、ツグミを頬張る。今の感覚なら、トリのモモをかじっているのと同じだ。ところが、通路をはさんだ隣からも、斜向かいからも好奇の視線を感じた。弁当の正体に関心を持っているようだった。ハトでも食べていると思われたのか、動物の形あるのがいけないのか。通路に立っている人は上から弁当のオカズをしげしげと眺めている。

 彼ら全員が明らかに敵意の目つきで「野鳥をまるごと食べている。野蛮だ」という視線だった。

 動物の愛護の意識の高くなる東京に向かう列車の中では、野鳥を頬張る姿は異様なものに見えたのだろう。ツグミの焼き鳥は高級品であり味は悪くはないが、東京に近づくに従って、食べるのに勇気が必要になり、食い終わるのに時間がかかった。

 この話には焼き鳥が出てくるように、中津の人は、焼き鳥とはそういう野鳥を焼いたもの、と普通思うわけだ。だから、友人は串に刺されている「焼鳥」は野鳥を焼いて出すものと思っていた。「焼鳥といってもトリ肉を焼いて出している」と説明するとビックリしていた。

 改めて中津の常識を思い出した。いつの間にか、地方は個性も特色も失っていく。00008_157 

復員兵が帰ってきた 昭20年秋  文化新進会 戦後中津川市に新風 軒先で 朝からヒワが鳴いていた 市内の企業野球チームが盛んだった 紙芝居おじさん 神主が副業  保古沼でスケート カケ将棋に負けた平八先生  第五福竜丸のマグロを食べた家  中津に火事がよくあった頃       本町1丁目夕日シリーズ

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