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2007年3月 3日 (土)

国定教科書の変遷

War012_1国定忠治くにさだちゅうじ国定でなく、国定こくてい教科書のことです。

国定教科書に墨塗りを昭和21年の春から、戦前の軍国時代の思想を子供の目に触れさせないようにGHQが指示して、全国の小中学校で、行われた。

昭和21年、終戦の翌年には、教科書は出版されていなかったのか、お古の教科書を姉達からもらい、それに加藤すみよ先生に「ここは黒く塗りましょう」と言われて、墨を塗った。意味もよくわからなかったが、私たち1年生は教科書の文字を消していった。

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23 この教科書を長く使った記憶はない。しばらくしたら、新聞紙のような大きな紙に印刷された教科書が来た。単元ごとに来たので、各自それを折りたたんで、綴じて切る。それを開けると、教科書になった。あの頃の分冊で綴じた教科書がもうどこにも残っていない。教科書を作る作業を通して、モノがないことを低学年でも痛感した。

大学生になり、教育実習に行った二中で、遠山校長から「その教科書は残っていないものだろうか」と聞かれた。残っていたら、教育の資料として貴重だという話だった。ウチでは、姉の家の二階の押入れに教科書一切入れていたが、引っ越した際に、片付けたようだ。分冊で来たのは、一年目だけだった。

戦後の民主主義が、岐阜県の片田舎でさえ、怒涛の波のように押し寄せてきた。「男女同権」なんて言葉は耳新しかった。宮町の恵比寿神社内で遊んでいると、上級生の小学生の兄さん、姉さんたちの会話の中にさえその言葉に出てきた。

低学年は国旗国歌と天皇賛美、愛国心を感覚的に刷り込む。動物の飼育と同じ。高学年では、神話に基づく日本の伝統に誇りを持たせ、大東亜共栄圏の盟主としての自覚につなぐ。男子は軍人兵士、女子は兵士を生み育てる母、それが国の恩に報いる道であるという教育を徹底した。各自が考える余地はなかった。思考停止させ、教科書を丸暗記の音読の連続でした」というのは、72歳になる鎌倉に住む作家入江曜子さん。

修身の教科書「ヨイコドモ 下」にある「日本ハ春夏秋冬ノナガメノ美シイ国デス」「山ヤ川ヤ海ノキレイ国デス」「日本ヨイ国キヨイ国 世界ニ一ツノ神ノ国」。二年生では、最初に出てくる富士山も「神の山」と意味づけている。

「本当の日本国民とは、どういうことか」という問いに「臣民としての道を守り、命をささげて陛下のためにつくすのが、ほんとうの日本国民だと、玉木のおじが教えてくださいました」と、神国日本が強調されて中で「忠君愛国」を刷り込んで行った。

入江さんが学んだ教科書は米英との緊張が高まる中、戦時体制をにらんで編集された昭和16年(1941年)の戦時教科書である。これが「第5期」である。

第一期が「国体の本義を教える。全国の学校や図書館、官庁に配布した。「我等は、忠によって日本国民となり、忠に於いて生命を得、ここにすべての道徳の源泉を見出す」と臣民の道を説く。

第二期日露戦争のあと、富国強兵の影響を受ける。国定教科書改訂はいつも戦争に関係していた。1910年

第三期は、第一次世界大戦や大正デモクラシーの影響で、国際協調的な傾向が見受けられる。1918年

第四期は、満州事変の1938年である。大陸進出を視野に入れた「忠君愛国」が強まった。国旗に関しては「日の丸の旗は、尊い皇国のしるしの旗です。私たち日本人はこの旗の翻るところ、皆一つの心で、皇室を尊び、皇国を愛する情に燃えます」と教師指導書に書かれた。

第五期は、太平洋戦争が起こった。「学校そのものが軍隊の予備校。私たちは国家の子、少国民でした」と前述の入江さんは語る。

敗戦と同時に、教科書に墨を塗り、修身と国史の教科書は没収された。しかし、「納得ができなかった。玉砕を覚悟した私には、日本が降伏したこと自体裏切りに思えたからです」

今の愛国心を強調する風潮は、入江さんには、過去の刷り込みと通じているものを感じている。00008_14_21 

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