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2007年3月15日 (木)

日本一の金持ち 孫正義

3日、ソフトバンクが東日本大震災の被災者へ義援金を送る事を正式に発表した。内、孫正義社長(53)が個人で100億円を寄付、また引退するまでの役員報酬の全額を寄付する事を発表した。
孫社長は2009年度、役員報酬として年間約1億800万円を取得。社長は現在は日本国籍を取得。在日同胞3世で、24歳の頃にコンピュータの流通会社であるソフトバンクを設立、日本ITの立役者の一人として第一線を走り続けている。
桁違いの義援金発表に、韓国メディアもこぞって特集。
またソフトバンクグループも企業として10億円の寄付を行う予定。大地震被害現場のボランティアに、これまで約2万台の携帯電話を無償で貸与し、被害地域の顧客らには携帯電話の通話料などの納付期限も延期している。

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Newssinnbunn002世界一の金持ちは、それはビルゲイツ、なんと、6兆5520億円というから、その額が理解しにくい。

ということで、そこで日本一の金持ちは、もう、西武のオーナーではない。予想外?のあの人、孫正義である。

最初、アメリカから帰ってきて数年間、孫正義氏が起業するには何がいいか研究した。その結果、一つの小さな会社を始めた。新会社を設立して、従業員二人を前にして「10年で年商500億の会社にする」と、ぶち上げた。20数年前の話である。

500億の売り上げというと、大会社だ。こんな吹けば飛ぶような会社を作ったばかりの若造がそんなことを言うようでは、、社員の二人は、「この社長、頭がオカシイ」とサッサと会社を辞めてしまった、そうだ。大下英治著『孫正義起業の若き獅子』講談社(1999年)

その風が吹けば飛ぶような会社の中で、孫正義氏が毎日バカでかい話を語るので、凡才では、孫正義氏の才能に気付かないだろう。この孫正義氏があれよあれよと言う間に急成長していくのを見て、切歯扼腕、悔しがって泣いたとか。孫正義氏について数年我慢すれば、その彼らは10億円、20億円は、懐に転がり込んできたチャンスだった・・・・それを放棄した人がいる。普通の人には先が見えないからね。

Photo_7 話の出発点は、高校を中退するところだろう。この高校は、かのホリエモンも出た名門高校である。孫の弟と堀江貴文と同級生で友だち。1974年 久留米大学附設高等学校の1年生か、2年生で学校を止め、アメリカへ行くと言い出した時、担任も、校長も、両親も、狂気の沙汰だと思った。そりゃそうでしょう、普通は。先が読めないのだから。周りの反対もなんのその、アメリカに行ってしまう。そして、米国セラモンテ高等学校(サンフランシスコ)に編入。孫正義 - Wikipedia

1977年 カリフォルニア大学バークレー校経済学部に編入。
1979年 自動翻訳機の売込みで得た資金を元手に、米国でソフトウェア開発会社の「Unison World」を設立。 
1980年 カリフォルニア大学バークレー校を卒業。学位は、経済学士(カリフォルニア大学)。日本へ帰国後、福岡市にコンピュータ卸売事業の「ユニソン・ワールド」を設立。

アメリカにいる間に、年間億に近い額を稼ぐ会社を作っていた。元手は、自分の発明した「音声機能付き他言語翻訳機」を当時シャープ専務の佐々木正に約1億円で売った資金だった。この後も、孫正義は自分に、課していたことがある。それは、一日1つ発明、発見をすることだあった。毎日毎日、それをノートに書き記して、それをモノにしていった。ここが凡人とは違う。

大学を卒業の時点では、アメリカ社会でも十分通用する会社に成長していたが、その会社を一緒に起業した仲間にそっくり渡して、日本に戻ってきた。日本で会社を興すという目的のために。

帰国後、彼の頭脳で一、二年かかりで何をやるか、どんな会社を作るか、研究リサーチをした。その後も、一日一発明を続けていた。その中から生まれたのが、電話の際に自動的に安い回線を選ぶ「スーパーLCR」(発売当時の商品名は「NCC BOX」)の発明である。

そのころ、既に「ユニソン・ワールド」という会社であるが、福岡の片隅で始めていた。それが二人の従業員を雇って大言壮語を語った頃である。それが「ソフトバンク株式会社」として、店頭公開されたのが1994年7月である。つい先頃である。それが十数年で6786億(2007年現在)の資産を持つ長者になっている。

孫正義氏、自分でも言っているが、一年一億円を使っても、6000年分も資産がある。人は一生かかっても1億円を残す人はそう多くないというのに、この人は、巨大な財産がすでに50代にしてある。といって、お金を稼ぐのを止めたわけではない。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

1991年 孫正義の名で帰化。
1994年 ソフトバンク株式会社の株式を店頭公開。
1996年 米ヤフーとソフトバンクの合弁でヤフー株式会社を設立。
1996年 オーストラリアのメディア王ルパート・マードックのニューズ・コーポレーションと折半出資の合弁会社を設立し、テレビ朝日の株式の21%を取得。後に朝日新聞の反発に遭って撤退。
2001年 ヤフー株式会社と共同でADSL接続サービスのYahoo!BBの提供を開始。以降、それまでのPCソフト卸、PC出版から通信に本業の軸足を移す。
2004年 日本テレコム株式会社(現ソフトバンクテレコム株式会社)を買収し、同社代表取締役会長に就任(2006年10月に同社代表取締役社長に就任。)。
2006年 ボーダフォン株式会社(現ソフトバンクモバイル株式会社)を買収し、同社代表執行役社長兼CEOに就任。

家系  孫家は自称中国の武家(将軍家)であり、22代前に朝鮮半島に亡命してきたと本人が語っている。(『文藝春秋』1999年11月号)
人生の目標 19歳の時に、「20代で名乗りを上げ、30代で軍資金を最低で1,000億円貯め、40代でひと勝負し、50代で事業を完成させ、60代で事業を後継者に引き継ぐ。」という人生50年計画を立て、今もその計画の実現に向けて走り続けているという。
大学検定 カリフォルニア州での大学検定試験の際に、「この問題は日本語ならば必ず解ける。」と言い、辞書の貸し出しと時間延長を試験官に申し出た。試験官は、自分の上司にあたる人間に相談。さらにその上司は、自分の上司に相談。そうこうしているうちに、最後は州知事にまで孫は電話で交渉して、「辞書の貸出し」と「時間延長の要求」をのませたという逸話が残っている。さらに、州知事とは「厳密な終了時間」を決めず、「辞書を引くのに適当な時間だけ延長する」という結論であったとして、無期限の時間延長と孫は解釈して、テストを受けて合格したという。
インベーダーゲーム  日本ではやっていた「インベーダーゲーム」を、ブームが沈静化した後に大量に安価で買い取り、アメリカで売り出して大もうけした。
帰化申請  帰化申請をするとき、「孫(そん)」は日本の名字には不相応だと言われたことに対して、自分の妻の名字をまず「孫」にして日本人名の前例にして、改めて「孫」の名字で帰化申請したという。
野球ファン 子供の頃からの野球好き。打順は3番で、三塁手だった。明け方のまだ薄暗い中グラウンドで練習したり、家の周りを鉄下駄を履いて走っていたという。特に王貞治選手のファンで、ホークスをダイエーから買収するきっかけとなったのは王が監督を務めている事と、出身地の鳥栖市に近くソフトバンク創業の地であった福岡県の球団であった事である。
ゴルフ好き ゴルフはハンデ2の腕前。

孫正義19歳の人生の目標  「20代で名乗りを上げ、30代で軍資金を最低で1,000億円貯め、40代でひと勝負し、50代で事業を完成させ、60代で事業を後継者に引き継ぐ。」という人生50年計画を立て、今もその計画の実現に向けて走り続けているという。

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コメント

十数年で6786億円(2007年現在)の資産を持つ長者になっている。

投稿: 日本一の金持ち | 2011年4月 4日 (月) 16時19分

自分でも言っているが、一年一億円を使っても、6000年分も資産がある。人は一生かかっても1億円を残す人はそう多くないというのに、この人は、巨大な財産がすでに50代にしてある。

投稿: 孫正義 | 2012年10月14日 (日) 14時43分

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