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2007年3月14日 (水)

川内康範 母の教え,仏の教え

Kawauti01t 川内康範のガンコさに注目されているが、古き日本の原点というか、忘れ去られた真心を見る思いがある。

海外抑留日本人の帰国運動や、戦没者の遺骨引き上げ運動を早くから行った活動家である。この活動を通じて、政財界との関わりを持ち、福田赳夫の秘書を務め、鈴木善幸元首相、竹下登元首相のブレーンでもあった。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

政治思想的には「民族派」に近いとされるが、一方で日蓮宗の寺に生まれた仏教徒であり、マハトマ・ガンジーの「非暴力・不服従」主義を高く評価し、日本国憲法第9条は護持すべきという意見の持ち主でもある。人脈的にも右派にとどまらず、アナーキストのルポライター竹中労とも親交があった。

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日航機羽田沖に墜落したとき、川内康範は、3日か4日続けて遺体収容を見にいっている。三日目ころには遺体は、もう誰か分からなくなった遺体に遺族はすがり付いて泣く姿を見て、できた歌が「骨まで愛して」(城卓矢)だという。

Oosita これは、川内康範をインタビューした大下英治の話だ。大下英治は、川内康範の思想を理解していた。愛するなら骨まで、命がけで愛するんだという。命と引換えの愛、誰よりも愛する愛、この重い愛を問い続けている。川内の愛の深さ、その愛ゆえ「涙、乾くひまなし」という。慈しみの心に溢れている。

その歌は、「君こそ我が命」「骨まで愛して」「花と蝶」「恍惚のブルース」「逢わずに愛して」「伊勢佐木町ブルース」「誰よりも君を愛す」・・・50代以上の人なら歌えるのではないか。それが、それが、歳月と共に、今の人々に伝わらないもどかしさを感じる。二十代、三十代の人には重苦しい。そんな印象で朝のテレビを見ていた。

Kawautii_2 ある作曲家曽根幸明が脳梗塞入院していたのを見舞いに行き、「君、手は動くか。そうか、森(進一)に歌わせるから、君曲をかけ」と言って、しばらくしたら、詩が送られてきた。それを作曲したのが「・・・」である。それを森サイドに持っていったら、「歌えません」と断ってきた、と話されていた。

川内康範が森進一に頼むに当って、「傘になってやってくれ」とメッセージをつけて、曽根幸明がこまっているから助けてやってくれ。というメモまでつけた。

もうこの時点で、亀裂が入り初めている。それが底流にあって、今回の「おふくろさん」騒動になる、という。「おふくろさん」に歌詞をつけ加えたという問題ではなく、「情」の問題だと、コメンテーターたちの意見だった。

Sone 歌手が売れなくて、川内の勧めで作曲家に 曽根幸明は、病気で倒れると、誰も見舞いには来てくれなかったが、唯一来てくれたのが川内康範だった。自身も、足が不自由でやっと二階上がってきてくれた。そして「君、手は動くか。」というせりふになるのだ。「森進一なんか、きませんよ」曽根幸明はいう。親しいかどうかで見舞いに行くか、にはるが。

しかし、人情紙のごとくなっているとき、困っているとき川内康範に助けられた人は、何人もいる。第一回レコード大賞の水原弘、彼はその後、鳴かず飛ばず、本当に困っていた。しかし、水原弘の周りによくない人がくっついているから、その人たちがいなくなったとわかって詞を書いて贈った。それが9回目のレコード歌唱賞になる。

  • 1967年(昭和42年): 『君こそ我が命』(作詞:川内康範・作曲:猪俣公章)で奇跡のカムバックを果たし、レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞。その後も活躍したが、生来の酒豪ぶりが祟り、病気がちになる。
  • 月光仮面は川内康範なんです、と曽根幸明はいう。青江みなしかり、困っていて川内康範に助けられた人は多い。

    1958年に原作と脚本を手がけたテレビドラマ「月光仮面」を始めとして、数多くの子供向け番組の原作や監修を手がける。1970年代の特撮ヒーロードラマ「愛の戦士レインボーマン」や「正義のシンボル コンドールマン」は川内の経歴や思想を色濃く反映した作品とされる。1975年から監修として携わったテレビアニメ「まんが日本昔ばなし」は1994年まで20年弱にわたる長寿番組となる。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

    「月光仮面」「日本昔ばなし」にしても、底流に日本の心、仏教の真髄を理解していなと、書けないものがある。あくまでも、日本人魂を吹き込む気持ちがある。

    「おふくろさん」は、川内先生は、自分を育ててくれた母の教え、温かさを感じつつ、単に自分の母にとどまらず、スケールの大きな思想を盛り込んだと、語っている。小さくまとめられたり、個人の母に形を変えられるのは、本意ではない

    これだけ聞いてくると、やっと、川内康範の思いがわかるようになる。これは、80代半になる私の兄がいるが、やはりその世代独特の雰囲気がある。大正生まれの人の受けた教育、そこから生じる個性には、独特なものがある。

    Mori1ns_1私より下の世代、20代~40代、彼らには、大正生まれの80歳以上の人々を理解するには、ちょっと困難なのかもしれない。そうだね、彼ら全般に輪切り世代で、自分と同じ背景、育ちの世代としか理解しあえない。そういいきってしまうには抵抗があるかもしれないが、とにかく聞く耳を持たない、そんな印象を持つ。

    森進一も、人の情を理解しない、とは思わないが、きっと周りのスタッフに恵まれていないのかもしれない。それも含めて、彼の人徳であるかもしれない。気の毒である。母を早くに失うと、狷介ケンカイな性格になりがちだ。そこまで他人に理解しろというのは、ムリな注文かもしれないが、森進一は自戒するべきだろう。

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    川内康範 性格/エピソード
    耳毛が非常に長い。これは30年以上前から確認されているが、一般にもそのことを認知されたのは2007年のおふくろさん騒動から。「三塚博以上」と一部では騒動以上に話題となっている。
    大島紬を着た女性が軽く出てくる、文章にすればわずか5、6行の場面を書くために、八丈島の泥染めをしている老婆に会ってきたことがある。それだけ作品に対して真摯に取り組んでいることを示す著名なエピソードである。
    筋は必ず通す。 金は貸しても借りない。
    熱烈なる法華宗の信者(父が法華宗の寺の住職でもあった)。
    「喧嘩康範」の異名を取るほど、妥協しない性格で知られる。 永井豪の「けっこう仮面」(「月光仮面」のパロディ)執筆を事前に報告(許可願い)した際には快諾している。
    竹下登と誕生日が同じで、長年竹下邸で合同誕生会が開かれていた。
    「骨まで愛して」(作詞は川内)で知られる歌手/城卓矢、作曲家の北原じゅんは甥。青江三奈の、芸能界の育て親であり、名付け親でもある(余談だが青江三奈は自身の小説のヒロインの名である)。
    勝新太郎とも親交があり、そのことから水原弘のカムバックに手を貸すことになった。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

    川内康範かわうち こうはん、1920年2月26日 - 2008年4月6日)
    1920年、日蓮宗の寺に生まれる。
    1932年。小学校を卒業。以後、家具屋の店員、製氷工場、製缶工場、炭坑夫などの数々の職業を転々とする。 大都映画で大道具だった兄を頼って上京。新聞配達をしながら、独学で文学修業を重ね、日活のビリヤード場に就職。人脈を広げて、日活の撮影所に入社する。
    1941年 東宝の演劇部へ入社。やがて撮影所の脚本部へ転属となり、特撮や人形劇映画を担当。その傍ら舞台の脚本なども執筆。東宝退社後、新東宝やテレビなどの脚本家、浅草の軽演劇の劇作家として本格的な活動開始。デビュー作は戯曲『蟹と詩人』。
    1945年、第二次世界大戦の兵士の遺骨引揚運動を開始。1955年まで10年間続ける。
    1958年 テレビドラマ「月光仮面」を手掛け、大ヒット。その後作詞活動も始め、数多くのヒット曲を送り出す。
    1975年、監修したアニメ「まんが日本昔ばなし」の放送開始。
    1984年に食品企業を脅迫するグリコ・森永事件が発生。「週刊読売」誌上で犯人グループに対して川内が私財の1億2千万円を提供する代わりに犯行を止めるよう呼びかける。犯人グループはこの提案に、自分達は乞食ではないとして断っている。
      近年はアルツハイマー病の病気療養のため都内へ通院しているという説があるが、地元紙である「デーリー東北」には時事問題等についての寄稿や投稿を繰り返しており、地元民は新聞紙上で名前を見かけることが多い。昨年は他の地元紙「東奥日報」の企画連載『青森はやりうた人もよう』にも取り上げられてロングインタビューを受けている。川内は30余年前から定期的に通院治療(時に入院)しているため、アルツハイマー発症の真偽は不明。
    出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』00008_131

    川内康範 母の教え,仏教の教え  森進一はなぜ離婚するか   森進一と大原麗子の離婚1984年   森進一が「おふくろさん」歌えなくなる?

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    コメント

    川内康範が森進一に頼むに当って、「傘になってやってくれ」とメッセージをつけて、曽根幸明がこまっているから助けてやってくれ。というメモまでつけた。

    もうこの時点で、亀裂が入り初めている。それが底流にあって、今回の「おふくろさん」騒動になる、という。「おふくろさん」に歌詞をつけ加えたという問題ではなく、「情」の問題だと、コメンテーターたちの意見だった。

    投稿: 曽根 | 2011年1月31日 (月) 23時09分

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