« 白鵬優勝 大相撲3月場所 | トップページ | 安倍内閣支持率 分析 »

2007年3月26日 (月)

泉のほとり ロシア民謡を歌った夜

Sinai0310昭和36年 春先の空気が暖かい夜は、思い出す。学生時分に新宿の歌声喫茶ヘ行ったときのこと。

売春禁止法の後、新宿歌舞伎町が穏やかな歌声喫茶の町だった。一般に人が楽しみを求めていく雰囲気があった。いつから風俗の町になったんだろう。

歌声喫茶の町は、多分田舎から上京就職したのだろうと思われる人たちで一杯だった。アコーデオンを弾く司会者が、なれた調子で指揮して、全員で一つのロシア民謡を歌うのは、言い知れぬ一体感があった。山小屋ふうの建物は、一階から三階までワーンと響き、道の外にまで聞こえる。それは、新宿にあのあたりは歌声喫茶の世界だった。あんな木造の建物で営業許可されないだろう。

★読み始めたら、ここで木戸銭としてクリックしてね!
   ↓   ↓

人気blogランキングへ   nozawa22ブログ順位がわかる

最初は、先輩が「歌声喫茶へ行って歌ってきた」と興奮気味に語り、歌うのを聞いていた。泉のほとり ロシアの若い娘が水汲みに来て、兵士がそれを手助けして、恋が生まれる。その歌詞には実感があった。水道が普及していなかった時代に育った私には、そんな歌がなんとなく親しみがあった。

その次に先輩が歌ったのが、一週間(オルゴール版) そして、仕事の歌 だった。春先の温かくなる夜は、気分が高揚するから、男ばかりの20数名の寮の中、何も無いのに酔ったように歌に酔いしれた。多分騒いだのは、2時間か、3時間だろうが、その時が私の心に残っている。

しゃれこうべの歌が、妙に戦争で死んだ兵士の頭蓋骨が土の上に転がっていて、愉快な仲間になって、語りかけるようで、印象が深かった。

しゃれこうべと大砲(イタリア民謡)日本語詞:東大音感合唱団

1 大砲の上に しゃれこうべが
  うつろな目を ひらいていた
  しゃれこうべが ラララいうことにゃ
  鐘の音も 聞かずに死んだ

2 雨にうたれ 風にさらされて
  空のはてを にらんでいた
  しゃれこうべが ラララいうことにゃ
  おふくろにも 会わずに死んだ

3 春が来ても 夏が過ぎても
  誰も花を たむけてくれぬ
  しゃれこうべが ラララいうことにゃ
  人の愛も 知らずに死んだ

-------------------------------------------------------

〔説明〕イタリア民謡ですが、正確にはシチリア民謡。シチリアは、アフリカに近いこともあって、アラビア文化の影響を強く受けて、独特の文化と住民気質を育んできました。マフィアが生まれたことでも有名です。この歌は、1950年のイタリア映画『越境者』の主題歌として使われました。『越境者』は、工場閉鎖で大量に失業したシチリアの労働者たちが、職を得るために、さまざまな困難にであいながらも助け合い、長いイタリア半島を縦断してスイスに越境していくという物語です。
 わが国では、昭和20~30年代、反戦歌の1つとして歌われました。

五番街のマリーへ  想い出の渚  アルプス一万尺  黒い瞳の  小麦色の娘  行商人(オルゴール版)  山のロザリア  赤いサラファン 

戸塚町2丁目から歩いて戸山ハイツのアメリカ人が作った公園の中を通って新宿まで行った。灯火の中で大声で歌って、気分が晴れた。

Newshinjyuku 帰りに「食べていこう」とS君に誘われて、屋台のおでんやに入った。タマゴをバクダンという名前で値段が1コ80円だった。お金がなかったので、彼S君の驕るという言葉で寄った店だった。ほかの大根とかちくわとか、大体30円くらいだったから、「バクダンだな」「いいよ、いいよ」というから、注文してしまったが、遠慮すべきだったか、といまだに心に引っかかっている。青春時代って、そんなつまらんことさえ気になるものだ。00008_150

泉のほとり ロシア民謡を歌った夜  忙しい時に「仰げば尊し」聞く    夏も近づく   旅先で味わう贅沢  ピアノとオカリナ コンサート    心疲れた方へ 童謡唱歌を紹介  さらば昴よ スバル    紅白06 秋山雅史/夏川りみがよかった   みかんの花咲く丘」が歌われた頃    早春賦の季節となって   歌声広場

最後まで読んだついでにクリックにも協力してね!
   ↓   ↓

人気blogランキングへ 
nozawa22ブログ順位がわかる

|

« 白鵬優勝 大相撲3月場所 | トップページ | 安倍内閣支持率 分析 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 白鵬優勝 大相撲3月場所 | トップページ | 安倍内閣支持率 分析 »