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2007年2月 5日 (月)

初恋の洋子ちゃん、今いずこ

Logo29_1この話、どこかで書きましたが、洋子ちゃんと思っていたが、実は洋子ちゃんではなく、れいちゃんだと、聞いて驚いたものです。私の頭の中は「洋子ちゃん」ですので、そのまま、訂正はしません。

1年1組は、一階運動場側トイレの隣り だった。

「桃から生まれた桃太郎!」
 桃太郎役の洋子ちゃんは教壇の上で立ち上がった。そのとき「ゴツン」と頭が黒板チョーク置きにぶつかって、劇が中断したことを思いだす。その時から50年、私の脳裏に洋子ちゃんの姿が残っている。 

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南小学校、1年1組は木造二階建て校舎、運動場側一階、一番西のトイレに近い教室だった。下駄箱は色紙を細く切って墨で書いた名前が張ってあった。午前中授業が終わると、午後から上級生が勉強に来る二部制ようだった。

Skousha01左の写真は、南小学校の校舎
 桃太郎役なら男の子のはずだが、戦後の食糧難の田舎には丸々した男の子がいなかったのか、疎開してきた洋子ちゃんが選ばれた。ふっくらした体格で刈上げた髪ではきはきした女の子だった。ほとんどの女の子がおかっぱの髪をしている中で洋子ちゃん一人、宝塚の男役のような髪をしていた。岡崎市からの疎開だったと思うが、都会から来た子というアカ抜けた感じがあった。

 運動会の遊戯は練習で何度も踊った。
 「オ馬ノ親子ハナカヨシコヨシ・・・」
 運動場の真ん中、子供達の円の中で先生が足踏みオルガンで「お馬の親子」を弾くと、子どもたちは素直に踊った。私も母親馬役の洋子ちゃんと練習で何度も踊った。

 敗戦直後、まだ教室は男女半分ずつに分けられていた。
 廊下側半分は男子、左半分運動場側は女子。そんな感覚の残滓の中で、男と女が急に親しくしろと遊戯やらせられでも、子どもだってしっくりこない。

 女の子の手を握って踊る軟弱な遊戯は私の心情とマッチせずいやだった。子どもに遊戯を強制する大人の感覚が気に食わなかった。その心情は訴えられなかった。ずーっと心の中で逆らっていたが、表現はできなかった。
 ついに、運動会の日は登校拒否で行かなかった。そうしたら、大騒ぎになった。 その話は別なテーマですので、ここまで。

 放課後だったか、教室は二人っきりでもなかったが、洋子ちゃんに呼び止められ、「手を出して」というので、手を出すと「鉄のビー玉」を私の手の上に乗せてくれた。やや大きめの鉄玉だった。あのころガラスのビー玉がほとんどだったころ「鉄玉」は王様の存在だった。手に乗せると重みがあった。これはすごいことになったと思った。

 ビー玉をくれた後、洋子ちゃんから「他の人にナイショ」と、秘密めいて言われると、呪文にかかったような気分に陥った。

 我が家は母をなくして一年目、休日ごとに姉たちと一緒に中村にあるお墓へ行っていた。四つ目川沿いに昭和町まで上り、そこから右側の道を恵那山に向って上って行く。途中は田んぼが多く、水車が回っていた。春から夏、静かでゆるやかに時が流れている感じがした。道の両側には小川が流れていた。

 洋子ちゃんの家は墓参りに行く道の左側、帰りは右側にあり、道路側の窓から彼女がよく見ていた。誰か通るたびのぞいていたかな。墓参りに行くたび、洋子ちゃんの顔が窓からのぞいていた。
 疎開先で友達も田舎では少ないし、テレビもあるわけないし、特に休日はさびしかったのかもしれない。

 二年生になった途端、私は宮町の恵比寿神社の前の家から、本町の新しい家に移った。そんなこと誰にも伝えはしていなかった。宮町に住んでいることも、誰か知っているとも思わなかったし、最初から南小に入学したのも本町に移ることが前提だった。
 「野沢君、本町だよね」と洋子ちゃん。
 「宮町だね」と敬子ちゃんが言い争い始めた。
 どっちが正しいか、私に判断を求めてきた。何で知っているのだろうと不思議な気持ちだった。

 戦争が終わって2年目、二年生の夏には、彼女は疎開先の中津川の町から岡崎の親元へ戻ってしまった。それから五十数年、一度も会っていない岡部洋子さん、一生会うこともないだろうが、人の一生はこんなものかな、そう思うこの頃である。手元に写真一枚もない。 00008_42  

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