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2007年1月17日 (水)

ローマ帝国衰亡Ⅳ 狂気狂宴

Historyroma 歴史を暗記科目という人がいるが、それは間違いだ。この中学生がいうように、歴史を歴史物語として学んでいたら、今の大人達はもっとましな思考をするはずだ。
ローマ時代に人間の考えることは、すべて出尽くしているかもしれない、と思っている。その物語を知れば知るほど、「人間って、なんで?どうして?」と思うだろう。

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私が読んだHPを紹介したい。引用文を一部手直ししてありますこと、ご承知ください。

●性的退廃  

A123 古代ローマ帝国においては、性的風俗も、売春、不貞、同性愛、近親相姦、異常性欲と、現代にも見られる風潮のすべてが、既にこの当時のローマ社会に蔓延していた。
 
古代ローマの歴史家タキトゥスの書物には、政府高官夫人ウィステリアが、取締官の前で「淫売の自由」を平然と宣言したことをきっかけで、貴族階級の女性に「貞操を金で売る」売春行為を禁じる法律が制定されたと書かれている。身分が低い女性には、売春の自由があった。禁令なければ、貴族階級の女性も、売春が普通の仕事になるところだった。

A3_1  クラウディウス帝の皇后メッサリーナは多数の愛人(男性)を持っていたが、それでも飽き足らず、「娼家の主人に小部屋を提供させ、ふらりと入ってくる客でスリルを味わった」(モールス著『性の世界史』)という。男性に比べると社会的に制約されている女性でさえ、奔放に性を楽しんでいた。
アウグストゥス帝を筆頭とする歴代皇帝をはじめ、ローマ社会の男性が女性以上に「性の自由」を謳歌していた。今風にいえば、性の乱れははなはだしかったといえる。

Bath22  カリグラ皇帝の時代には、売春による利益に対して、「売春税」なるものが課された。(『ローマ皇帝伝』下巻)
  これは売春行為が公認されていることであり、売春婦・売春宿の多さを物語っているといえる。売春は最古の職業といわれる。ただし、富裕貴族階級の女性に売春が認められていない。

このような性的狂乱の結果、「堕胎」と「子捨て」が頻発した。子供は邪魔扱いされ、妊娠中絶が流行した。また、中絶しそこねて生まれてしまうと、『乳の出る円柱』(コルメン・ラクテウス)に捨てられ、そこには国費で傭われた乳母がいて、捨て子の哺育に当たることになっていた」(『ローマの歴史』)。
 
最近、日本でも、病院内に子供を育てられない場合、捨てる施設を作る話(すでにできている)がある。ドイツには既にある。2000年前も、今も人間の考えることは似ている。

●血の狂宴 

A20 ローマには、76日の祝日休日があったが、アウグトゥス帝末期には175日にも増えた。国の繁栄でもあるが、国民に緊張感がなくなっていた。これらのあり余った余暇時間は、剣闘や戦車競争、演劇といった娯楽に費やされた。
 大競技場コロッセオに15万から20万の大観衆が押しかけ、盛大に競技が開催された。戦車競争に人気があった。最も人気のあったのは、剣闘である。獣と獣、人間と獣、人間と人間が、大観衆の面前で互いに殺し合うのである。ゲームとしての「殺人」が行われた。

Img316 当時の技術の粋を集めて造られた闘技場があった。ティトゥス帝の治世に完成した大闘技場コロッセオは、闘技場に満々と水をたたえることも、砂漠やジャングル風の装置にすることもできた。現代の競技場にも勝るとも劣らないものであった。

 最初は、様々な猛獣の行進が行なわれ、その後、猛獣対猛獣の試合が行なわれた。
 次に闘牛が行なわれた。闘牛の技術が発達していなかったこともあって、闘牛士が牛に殺される場合も多かったという。
 最後には人間同士の殺し合いが行なわれ、選手はたいてい死刑囚だったが、死刑囚が不足しているときは、軽微な犯罪者が死刑を宣告されて選手にされる場合もあったという。
 
このような剣闘は、「帝政ローマにとって、この人間屠殺の饗宴は、なくてはならぬ国家的行事だった」(モンタネッリ『ローマの歴史』)。このような娯楽は、いずれも無料で市民に提供されて、無産市民の社会的不満を抑えるという意味があった。

 このような残虐行為を批判したのは、ローマの歴史を見るとセネカただ一人である。「ここでは、人間が遊戯と娯楽のために殺されている」(『ローマの歴史』)。 このセネカの言葉に耳を傾ける者はローマ社会にはいなかった。

狂気の民衆

 ネロ帝が自殺した後、次の帝位を巡って、ローマ市で市街戦が行われた。タキトゥスは次のように描写している。

Coin_roma  戦う兵士たちの傍らには見物人の民衆がやじ馬に立ち、あたかも見世物の剣闘を見ているときのように、ある時にはこっちの側を、ある時にはあっちの側を喝采と拍手で応援していた。
 
一方の側が敗れて崩れるたびに、店舗に隠れた兵士たちや、他人の住居に逃げ込んだ逃亡兵たちを引っ張り出して
「刺殺しろ!刺殺しろ!」と民衆は叫んだ。こうして殺された兵士から戦利品、分捕品を民衆は奪い合った。

 ローマ全市にわたって、戦闘と傷付け合いが行なわれ、その間にも、あちらこちらの場所では、公衆浴場と飲食店が開かれていた。
Battle00 一方には、流血の死体が山になっており、それとすぐ隣合って娼婦たちがいた。享楽的閑暇の中に数多の情欲が求められ、最も残忍な占領の中であらゆる犯罪がおかされた。
 
 
Battle2以前においても、一つのローマ市が、武装した軍隊が干戈カンカを交えたことはあった。そして当時の戦いにおいても、残忍さが今よりも少なかったわけではない。 
 しかしながら、片時たりともその快楽追求は中断されることはなかった。あたかも休日に、この歓楽がひとつ加わったかのように、人々は狂喜して悦び、両軍の運命に対して、いささかの憂慮を寄せることなく、国家の不幸に歓喜したのであった」(『歴史』タキトゥス著・国原吉之助訳)。

 かつて「市民の自由」と「自由な献身」の健全な国家と社会を築いたローマ市民たちが、今では、てんでんばらばら、それぞれ全く違ったものを追い求めている。(『素顔のローマ人』)。ローマ史家弓削達氏はタキトゥスの描写から感じたことを書いている。00008_21

ローマ帝国衰亡Ⅰ
ローマ帝国衰亡Ⅱ 
ローマ帝国衰亡Ⅲ
ローマ帝国衰亡Ⅳ
ポンペイ遺跡姪の旅  
ローマ帝国 なぜ滅びたか 気象変動説

世界を支配 ローマ賢帝ハドリアヌス時代
ローマの英雄カエサルから学ぶ 02
ローマの英雄カエサルから学ぶ 01:
ローマの英雄カエサルから学ぶ 03
賽サイは投げられた カエサルの心中:

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コメント

クラウディウス帝の皇后メッサリーナは多数の男性愛人を持っていたが、それでも飽き足らず、娼家の主人に小部屋を提供させ、ふらりと入ってくる客でスリルを味わった。(モールス著『性の世界史』)

投稿: メッサリーナ | 2012年11月 2日 (金) 19時03分

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