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2007年1月 5日 (金)

弓削道鏡 黒岩重吾

Doukyou 黒岩重吾の作品「弓削道鏡ゆげのどうきょうを読み始めた。この本から奈良時代、平安時代の社会の仕組みが見えてくる。日本史を学んでも、当時の生活は詳しくはわからないが、小説ではわかりやすい。しかし、下知識がないと、イメージがわいてこないから、ストーリーが膨らまないのが、もどかしい。 

黒岩重吾以外に、王朝時代の小説を書ける人がいないのではないか。確かに、この時代に人物のコマを動かして、衣装を考え、時間軸をもってストーリーを構成するとなると、経験できる世界でないし、よほどの学習量の上にイメージが作れないと、作家にはなりにくい。一作一作が研究の塊りでは、作家も大変だ。

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川柳では、ずいぶん道鏡の「巨大陽根」、孝謙天皇(女性天皇)との関係をいい笑いものにされているが、道鏡の政敵や江戸時代以降の政体と関係がありそうだ。孝謙女帝は、聖武天皇と光明皇后の長女。

行基が、日照の害の多い四国に砂防ダムや貯水池を造ったことは現代にも伝えられている。大事業をしているので、皇室から資金の援助もある。何千、何万の人々に仕事をさせて失業対策にもなった。科学知識が乏しい中世にも、指導者はいるものだ。

僧侶は、学問があり、信仰と共に、生き方の先生でもあり、科学的知識も兼ね備えていた。

道鏡は、最初、行基の知り合いの先生についていたが、先生が亡くなって、舎弟格の先生、良弁の寺に入る。この良弁は清貧で、仏教を広めるのに努力した。いかにしたら聖なる僧侶として認められていくか、その点は、清貧を謳いながら、野心はある人だった。道鏡は、同じく野心家タイプだったから、師の心底をみていたし、学んでいた。

大陸からの渡来人は、鋳造の技術を持っていた。良弁の一族はその集団に属していた。弓削道鏡は、前の師死後、良弁の下に属した。師良弁50歳であった。道鏡30歳になっていなかった。

良弁は皇室から寺を寄進され、信頼されて。金品の寄付もある。それだけでも信頼の厚い僧侶であった。階級も上であるが、まだ上がある。今度は、奈良の大仏を建造するように天皇に勧めた。外国の信頼を得るためには大きな仏像を作って見せることである.と、聖武天皇にけしかけた気配がある。インテリで謙虚に振舞う良弁であるから、その野心は見せないが、弓削道鏡は師の野心を見抜いていたのはずである。

道鏡が目立ってくるのは、平安時代、天然痘が蔓延したときである。彼は看護禅師という資格で皇室に入りたいと思っていた。当時、天然痘を瘡そうと呼んでいた。今でこそ天然痘は予防ができるし、世界的に撲滅してしまったから、その恐ろしさを理解できないが、京都の皇室内にまで広がるほどであった。

天然痘は、ジェンナーの種痘という予防が発見されるまでは、人類最高の恐ろしい病気であった。ガンやエイズの比ではない。罹患後の致死率が50%くらいあったのではないか。江戸時代の武士や志士でも天然痘の治ったあばたの人は結構いたのは、写真にも残っている。そのまた昔の平安時代、奈良時代だから、この病気の恐ろしさは想像に余りある。

藤原氏が天皇の外戚になって権力を振るっていた時代、中枢にいた藤原一族の息子たち四名をこの瘡にかかって死んでしまった。庶民の中には、一家全滅する家も多数ある。そのころの統計があるわけではないので、正確には分からないが、天然痘で日本国民の1/4は死亡したと言われる。死骸が道端に転がっているほどであった。その怖さもあって僧侶さえ、寺から一歩も出なかった。

.そのとき、道鏡は、瘡の後遺症で苦しむ人々を回って、治療と祈りをして歩いた。その功績をたたえ、天然痘の蔓延が収まったとき、道鏡は、師の良弁と共に皇居に呼ばれて、お金と褒賞(生地反物)を貰う。これが出世のきっかけになった。

皇室直属の看護禅師になれば、国家の重要人物とのつながりができる。それを道鏡は狙っていたのは、わかる。天然痘の患者に近づき、祈祷と手当てをして回ったにも係わらず、伝染しなかったのは、まえもって免疫があったのか。幸運としか言いようがない。当時の人々には医学、疫学知識はないから、霊験あらたかなお経、道元の霊力、一旦信じられたら、彼は医師以上の医師と崇められる。

このあたりは、科学で割り切らないで、陰陽道のまがまがしさを残して理解した方がリアリティがある。

信じられると、それを名乗っていける。ニセ医者という文句は誰からの出ない。良弁も、道鏡のエネルギーを圧力に感じるくらいであった。


弓削道鏡


弓削道鏡といえば、孝謙(称徳)女帝の寵愛をよいことに僧侶の身でありながら位人臣を極め、挙句には皇位さえうかがった稀代の悪僧というイメージが一般的です。

しかし、近年こうした悪評を疑問視する声も多くなっています。道鏡を失脚させたのは藤原氏であり、道鏡大悪僧説の出所である「続日本紀」は、藤原色の濃い史書であるからです。そこに明治以降の皇国史観が加わり、“極悪人道鏡”というイメージが定着し、ほとんど修正されないまま今日にいたったというのです。

道鏡生誕の地である八尾にも、単なる身びいきではなく、時代や個人の置かれていた状況を見極めたうえで史料にあたることで、道鏡の復権をはかろうとしている人々がいます。植松町の山野としえさんが主宰する「道鏡を知る会」は、全国の道鏡顕彰団体と交流を持ちながら、名誉回復に向けて地道な歩みを続けています。また、山野さんは、自作の小説「真実不虚-高僧弓削道鏡-」の中で、自身の信念に基づいた道鏡観を展開されています。

難解な仏典やサンスクリット語に精通した第一級の知識人であったという道鏡、その彼を“道鏡さん”と親しげに呼ぶ人が、八尾では着実に増えているようです

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コメント

こんばんはhappy01
私も黒岩作品が大好きで、古代史マニアなので
かなり色々読んでいますeye
弓削道鏡のイメージが沸かない人には
漫画ですが、里中満智子さんの孝謙天皇を読むと
面白いかもしれませんねscissors
その漫画ではかなり女帝と弓削道鏡のロマンスが
美化?されちゃってますがbleah

投稿: | 2010年4月22日 (木) 01時48分

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