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2007年1月11日 (木)

ローマ帝国の衰亡 Ⅱ 美食飽食

Roman_empire_1当時の人の概念からすれば、ローマ帝国はもう世界を支配したと思われただろう。そして、繁栄の衰退は、満ち足りた生活の中から始まる。ローマには支配階級として、もともとのローマ人がいて、領土が広がるに従って、彼らが持てる階級、格差社会のトップ階層になった。ますます贅沢で裕福になって成功した人たちである。

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外国がら連れてきた奴隷はタダだみたいに働かせることが可能になった。知識人の奴隷もいたし、美女の奴隷もいた奴隷といっても、黒人奴隷ではない。占領地のヨーロッパ人が大多数。ローマの人々でも、贅沢が可能な人々とそうでない人々はいた。格差社会である。

格差の貧困層を離反させないために娯楽を提供していた。猛獣と猛獣の戦い、猛獣と人間(死刑囚)の戦い、人間同士の戦いを何万、何十万人と集まる競技場で見せた。料金は無料。今では、とてもやれない残虐なことを見せて、不満を政治や支配層に向かわないように配慮していたようだ。

人間の考えることは、今も2000年前でも、そうは変わっていない。社会の通念は変わったり、科学知識が進歩しても、人間と人間の関係は変わらないだろう。私が読んだHPを紹介したい。引用文を一部手直ししてありますこと、ご承知ください。

●帝国に集まる膨大な富 ●享楽のローマ
(インドロ・モンタネッリ著・藤沢道朗訳『ローマの歴史』)。
●美食と飽食(樋口勝彦訳『手紙』)(『素顔のローマ人』)(スエトニウス著・国原吉之助訳『ローマ皇帝伝』)(セネカ・国原吉之助訳『ヘルウィアへ、慰めについて』)(『ローマの歴史』)(ペトロニウス著・岩崎良三訳『サテュリコン』)したと当時の散文家ペトロニウスは評している。
●性的退廃(タキトゥス著・国原訳『年代記』)(モールス著『性の世界史』)(『ローマ皇帝伝』下巻)(『ローマ皇帝伝』)(『ローマの歴史』)。
●血の狂宴に酔いしれる人々
(『ローマの歴史』)(『ローマの歴史』三一四ページ)
●狂気の民衆(『歴史』タキトゥス著・国原吉之助訳)(『素顔のローマ人』)。

まず、美食と飽食

食に対するすさまじい。 ローマの宴会はだいたい昼過ぎ4時に始まり深夜にまで及ぶ。この間延々と食べ続けるが、その量にも驚かされるが、その内容の多さ、贅沢さは現代に匹敵するかあるいはそれを上回る。

 ローマ人は、美食のために、遠方リビアのザクロ、ガリアのハムとワイン、スペインのピクルスといった食料品が世界中から運ばれてきた。それに加えて、例えば、ポィニコプテルス(紅鶴)の「舌」。
これはローマの散文家セネカによって「王侯的奢侈」、「途方もない贅沢」の見本とまでいわれたその他、反芻を行う唯一の魚類であるスカルスという魚の内蔵、ロンブスやアキペンセルという魚。いずれも遠方でしか捕れず手に入りにく希少品が珍重された。牡蠣かきや雲丹うにも珍重された。牡蠣はキルケーイーとか、ブリタニアの海岸とか、バイアィのルクリヌス湖などのものが貴ばれ、ルクリヌス湖のものは養殖であった。雲丹はミーセーヌムのものとされた。高価で珍しい料理であった」(弓削達著『素顔のローマ人』)。その他、現代の日本でも人気の伊勢海老も非常に珍重され、この当時既に伊勢海老の養殖が試みられている。

 獣肉についても、豚やウサギなどの肉では満足することができず、豚の乳房、子宮などが珍重されていたが、その中でも孔雀は貴ばれた。ローマ人が孔雀を珍重していることについて、「……虚栄に心を奪われているからだ。珍しい鳥だというので、黄金を似て買わねばならないし、色どった尾が見事な光景を呈しているからだ。……肉は鶏と大差がないのに、美しい外見の差があるために惑わされて、鶏よりも孔雀を求めようとする」(ホラティウス・樋口勝彦訳『サトゥライ』)と、当時も批判的に見る識者は人はいた。

 これは有名な話だが、ローマ人はより味覚を貪るために、宴席で腹いっぱい食べた後、意図的に食べた物を吐くことを習慣としていた。おなかを空にして、改めてまた食べる。

ウィテリウス帝は、「食事は常に三度、ときには四度にもわたって、朝食と昼食と夕食と夜更けの酒盛りを摂り、いつも嘔吐によって、どの食事も難無くこなしていた」(スエトニウス著・国原吉之助訳『ローマ皇帝伝』)。

あるとき、ウィテリウス帝のローマ帰還を祝って、祝宴が供されたが、そのときには、入念に吟味された二千匹の魚と七千羽の鳥が食卓に供され、ウィテリウス帝自身が奉納した大皿には、ベラの肝臓、キジと孔雀の脳みそ、フラミンゴの舌、やつめうなぎの白子が混ぜ合わされていたという。

 吐くためには、鳥の羽で喉をくすぐるのがよく用いられていたが、その他に、かっこう草の根や水仙の根が吐瀉剤としして使われていた。
吐くための道具、柄が長いスプーンをみた記憶がある。慣れたら、すぐ吐けるようになったらしい。

当時の識者セネカも、『ローマの歴史』を書いたモンテネッリも、当時の様子を冷静に批判している。しかし、現実にお金を持って贅沢ができる階層は、相変わらず、食べては吐く宴会を続けている。
(以上引用)

吐いた吐しゃ物は平然と便所や道端に投げ捨てられたそうだ。これを片付けるのは、ローマの一級市民はやらないだろう。外国から連れて来られた奴隷にさせていたはずだ。こういう奴隷を自由に使える市民はぶくぶくと太って、肥満体になっていた。

食欲にも限界があるのに、吐くという手段で、食べ物を栄養として摂取するのではなく、味わうだけの本能を満足する手段にすり替えてしまった知恵のすごさを痛感する。たっぷり味わうには、吐くことで胃を空にすれば、また美味しく味わうことが可能。これって、生殖とセックスの分離に似ていないか。これは、本日のテーマではないので、追及しない。

格差社会で一部の人々が、金を持って裕福になると、栄耀栄華を謳歌して、ローマが繁栄しているように見えた。しかし、金があっても人間の品性はあがなえない。その証拠が一杯ある。

ローマの繁栄の終わり頃になって、ポンペイの大噴火があって、町全体がそのまま時間が止まった状態で遺跡発掘されて現代に蘇っている。格差社会の断面として捉えると、案外よくわかるかもしれない。00008_23

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コメント

ローマの繁栄の終わり頃にポンペイの大噴火があったとの記述ですが、ポンペイの噴火はAD79。
一般的には五賢帝時代をローマの最盛期と言うと思うのですが、それはAD96-180です。

投稿: | 2009年3月11日 (水) 11時22分

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