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2007年1月24日 (水)

疾風のように駆け抜けた彼 5

A02_3A01_2この手紙を貰ったのは、島根大病院に見舞いに行った年である。

病気になって声帯を取り、話を聞く分には不自由はないが、話せないからボードに書いて意思疎通をしていた。

その後、退院してから高校生の息子を得度させ、器械を使って会話もできるようにもなった。その病にも負けないで、タイでのバゴダ建設には熱意をもって取り組んでいた。

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A06 2/24(土)早朝、ヤンゴンから電話が入ったと妻が病室に入ってきた。パゴダの内部に納めるものを至急送れ、成田を発つ○氏に宅配便で、とのこと。髪の毛とか、何かないとパゴダにならぬともつけ加えられた。私は全国からの寄附者名簿、依頼された写経、となりの老婦人の短歌、など用意していたが、煩悩が起こった。

昨年は、昭和21年に26歳で還浄した母の50回忌に当たっていた。異母弟二人は別として、妹二人は母の後を追っており、子供のうち生きているのは私一人。世間なみの法事の代わりにパゴダの前で短い読経をし、「おかげで元気で生かされています。親孝行できませんが、お母さんの喜んでくれるだろうこと、ひとつだけさせて頂きました」と報告するはずだった。

思いもかけぬ手術で半年間も入院し、完成式にも行けない。それならば、といつもお聖▲の中にはさんでいる写真(キャビネ版)を送ることにした。生まれて一ケ月後の私を抱いている母と立っている父、三人が写ったものだった。ついでに3年前、インド、ネパールの釈尊の跡を歩いたあと、バッサリ切った長さ15センチほどの髪を添えた。

少し後悔して、ファックスを送った。「間に合わなければよいが」と書いたが、タンビザヤ一の高僧とパゴダを守って下さる僧とのよって上の写真のように納められてしまった。秋に行ったとき髪だけ取り出すつもりでいる。犠牲者の遺骨でいいのだ。

彼生きているうちは、あまり協力はできなかったので、10何年過ぎて、彼の足跡を残しておきたいと思うようになった。小学生のうちに母を失い、妹達も早くに亡くなり、さびしかっただろう。陽気に振舞っていたのは、その反動だったろうと思う。パゴダに母の写真を納めたかった気持ちもわかるような気がする。

疾風のように駆け抜けた彼 1 疾風のように駆け抜けた彼 2

疾風のように駆け抜けた彼 3 疾風のように駆け抜けた彼 4

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