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2006年12月 9日 (土)

硫黄島玉砕 昭和19年(渡辺謙)

4321wken3 渡辺謙は、話題の映画「硫黄島からの手紙」でも栗林中将を演じている。

今から60数年前の昨日、12月8日、アメリカと無謀な戦争を始めた日である。きちんと分析して物が見える軍人、政治家はこの戦争は始めるべきではないとわかっていた。強引な頭の悪い軍人や政治家が突っ走り、大衆を煽ってしまって日本全体を悲惨な目に引きずりこんでしまった。良識ある人より、強引な人ほど声が大きく、堂々として話をする。今テレビでしゃべる政治家とか、そういう種の人を見ても、そうだ。

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Kuribayasi011栗林忠道中将(長野県松代出身)が硫黄島に赴任して、アメリカ軍との激闘で玉砕。かっこよく玉砕というがつまりは、全員戦死だ。

その経緯は、日本から救援が行くといいながら、大本営は結局追加支援しなかった。硫黄島は絶滅するから兵は送らなかった、というこどだ。あいつら(硫黄島派遣軍)はあそこで死んでもらおう、と日本軍のトップは、非情の判断を下したのだろう。

この中将はアメリカに留学して、アメリカの国力を知っていた。アメリカと戦争をすることは、無謀であると主張しても、神がかりの日本ではとても通るの状態ではなかった。アメリカを泥沼に引き込めば、アメリカ世論がこの戦争は愚かなことと言い出してくれるかもしれない。硫黄島で戦闘が続いている間は本土空襲、攻撃はないだろう。そのために必死に死ぬ覚悟で、硫黄島の中に地下トンネルを縦横にめぐらした。

_beach_of_iwo_jima 海に囲まれた島は、じっとり暑く、地下水も川もない島では、雨水のみが飲料水であった。アメリカ軍が圧倒的な物資と陣容で硫黄島に上陸して戦闘が始まった。 

1945年2月19日にアメリカ海兵隊の上陸が開始され、3月26日に日本軍の組織的戦闘は終結した。日本軍は20,933名の守備兵力のうち20,129名が戦死した。アメリカ軍は戦死6,821名、戦傷21,865名の損害を受けた。太平洋戦争後期の島嶼防衛戦において、アメリカ軍地上部隊の損害が日本軍の損害を上回った唯一の戦闘であった。 硫黄島の戦い

Iwo_jima_location_map 生還を期することができない戦いを強いるのが日本軍のやり方。この戦い方は、北朝鮮や韓国にこの戦いの伝統が残っている。

栗林中将の生き方は、軍人としての姿勢にもあらわされて、家族、娘にこまめに便りをだして、その文章にも表れている。硫黄島の擂鉢山に米軍が国旗を立てるシーンは銅像にもなってアメリカ歴史に刻まれている。硫黄島の玉砕から日本軍は敗退を続ける。

こんなにも多くの軍人が死んだ歴史さえ、日本では知られていない。それは伝えるべき人が死んでしまったからだ、という人もいる。だかから、せめて手紙でというところだ。アメリカが映画にしない限り、あまり取り上げられないだろう。

関連記事1 貴重な記事が1~9まで詳述してある。読み終わるに時間がかかるが、■3.東京が少しでも長く空襲を受けないやう■から読んでください。

407pxusmc_war_memorial_02 ■5.Black death island! (黒い死の島だ!)■

  2月16日、戦艦7隻を中心とする26隻の米艦隊が硫黄島を包囲した。その南80マイルには護衛空母11隻が配置されていた。やがて3日間に及ぶ艦砲射撃と空爆が開始された。硫 黄島戦終了までに打ち込まれた艦砲弾は29万発、1万4千トンに達した。着弾で地面が大地震なみに揺れるのを、日本軍は 地下で堪え忍んだ。
   
  上陸を前に海兵隊員たちは双眼鏡で、砲撃の黒煙が上がる硫黄島を見つめていた。南海の島だというのに、緑の椰子の木も白い砂浜もない。見えるのはただ地獄絵図のような擂鉢山と、黒い海岸だけである。「Black death island! (黒い死の島 )」と誰かが不吉な声をあげた。
   
19日午前9時、水陸両用装甲車500隻が上陸を開始。日本軍が沈黙を守る中、約3キロの海岸に、3万人の兵員と4万トンの機材が送り込まれた。1mあたり10人の人間と、13トンの機材で海岸はごったがえした。
   
9時29分、日本軍が一斉に砲撃を開始した。前方と左右の三方から、日本軍の迫撃砲が集中弾を浴びせた。戦車が燃え水陸両用車が吹き飛び、胴体や手足が散乱した。長さ1.5m、  直径30センチもの大型砲弾が炸裂すると、周囲20mの人間を殺し尽くした。まさに阿鼻叫喚の地獄だった。
   
最初の一日で島の南半分を確保する計画だったが、米軍は海岸部に釘付けにされ、上陸後18時間で死傷者は2,312人に及んだ。報告を聞いたルーズベルト大統領は戦慄の余り、息をのんだ。上陸開始51時間後には死傷者は5千人を超え、米国民は南北戦争でのゲティスバーク激戦以来の大流血にショックを受け、以後、死傷者数は報道されなくなった。

硫黄島からの手紙 映画館で見た

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