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2006年12月23日 (土)

たそがれ清兵衛

「たそがれ清兵衛」をテレビで見た。

17a 江戸末期、庄内の平侍・井口清兵衛(真田広之)は、労咳を患った妻の死後、娘2人と老いた母親をなんとか養い暮らしている。仕事が終わると同僚との付き合いを断って帰るため、仲間には「たそがれ」と呼ばれていた。ある夜清兵衛は、久しぶりに再会した幼なじみの朋江(宮沢りえ)を家に送った際、朋江が離縁した男に果し合いを申し渡され、木刀で打ち負かしてしまう。噂はたちまち城中に広まり、朋江も清兵衛に心を砕いていく。その頃、藩主の死により城は揺れ始めていた。

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山田洋次監督が描く日本人の心は、他のどんな映画よりも心の溝を突いてくる。その監督が、時代小説の匠・藤沢周平の小説を映画化した本作は、時代の波、運命の波を静かに見つめる侍魂を情感豊かに描いたヒューマン時代劇だ。貧しさのなかで、清兵衛は常に冷静に世の中を見渡し、へらず口をたたかず、自分の芯を貫いていく。

Mo1600 一方で、思い切って朋江に結婚を申し込む清兵衛のかたくなな表情や、意に反する藩命に向かっていく凛とした態度は、侍の心意気を見せられるよう。そして、注目すべきは果し合いシーンの見事さだ。張り詰めた緊張と気を抜いた会話の波が起こすリアルな「間」と、急に顔色を変える余吾の不気味な迫力が一対一の殺陣を盛り上げる。解説 あらすじ

  「清兵衛」が藩命に逆らえずに一人の藩謀反人を誅殺する役を受けてしまう。そこでのやり取りは、感情の波を上手に描いているが、藩と自分、身分制度の不合理、時代の変わり目に乗る、乗れないの葛藤、貧乏であることで朋江からの申し出を断ることの描き方が情緒に流れている。

  映画の作り方に批判的な見方をするのは、私の中に現代の教育を受けて封建体制を否定する精神がどこかに入っているから、言えるのかもしれないが、江戸時代に生まれ育っていたら、そういう目では見ないだろう。江戸時代の地方の田舎藩に生きていたら、その中の時代の倫理で生きようとするだろう。

「武士の一分」もみたいと思っている。武士の時代の動かせない倫理観を見て、今の時代を見たいと思う。

トラックバックでこの映画をうまく解説をしてくれたので、http://spadea.jugem.jp/?eid=595 をお読み頂くと、よくわかります。

http://kid-blog.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_60e2.html

このブログもよく書いているが、「たそがれ清兵衛」以外にまで話が飛ぶ。

 お金を稼ぐのは、悪いことですか!」と目をまん丸にして記者会見した人がいましたが、「武士は食わねど高楊枝」というやせ我慢は人間しかできない?そういう考え、アウシュビッツで死に直面しても人間らしい譲り合いがあった、とどこかで読んだことがある。

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コメント

秘めていた想いを朋江に打ち明け、一刀流の剣客・余吾の屋敷を訪れた清兵衛は、壮絶な戦いの末に余吾を倒す。その後、朋江と再婚した清兵衛。短い幸せの末、新政府軍の鉄砲で最後を遂げる。朋江は二人の清兵衛の娘を育て上げ、今は二人揃って墓の中。

投稿: 忘れん坊 | 2014年9月 9日 (火) 18時58分

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