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2006年11月20日 (月)

東京国際女子マラソン歴史

00014_4 東京国際女子マラソンは、第一回から見ている。第一回は、子持ちのイギリス女性ジョイス・スミス2:37:48が優勝した。そのときのエピソードで覚えているのは、タンを道路に吐かないで、ハンカチで拭って、またしまって走り続けた、という美談。

皇居から美智子さん、まだ皇后になっていないころ、皇居から出て旗を振って応援したと報道された。

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79_2 今年は1,2,3位が日本選手で、逆に国際という名称にふさわしくない印象すらあるが、当時は女子のマラソン選手は育っていなかった。第1回大会は、7位で村本みのる2:48:52が日本人トップだった。

ドイツが分裂国家の時代、東ドイツの女子選手は強かった。第7回1985年カトリン・ドーレ2:34:21(東ドイツ)が優勝したレースでは、2位ワインホルト2:36:29(東ドイツ)、5位も東ドイツ選手だった。Tokyom 

トップはブッちぎりのカトリン・ドーレだった。しかし、2位グループは日本選手もからんでの東ドイツ選手が健闘していた。2位グループの中継が、急にヘンな雲行きになったのは、20数キロのところだった。

ワインホルト選手のパンツがワイン色に染まったからアナウンサーが困ってしまったのだ。カメラは選手を写さないわけには行かないし、写すとヘンだし。それを面白がるわけにも、全然放送しないわけにもいかず、当惑した報道関連の記事がある。

日本女性だったら、恥ずかしさできっと棄権しただろうに、このことから、東ドイツ女性の強さを感じた。

H_mari_1 1991年、第13回大会で谷川真理2:31:27が優勝した。

終盤、ついにエゴロワ(ソ連)をとらえた谷川は、残り2キロでスパート。「ついて行こうとしたが、足の方がついていかなかった」-2位のエゴロワ(右=ソ連)

日本人二人目、谷川真理は資生堂の選手らしく写真写りがいい。美貌が注目された。今でも、バラエティ番組の走るイベントには呼ばれて走っている。40代も半ばでもよくやる。谷川マラソンも企画している。

こうやって、マラソンで残るには、走る技量だけではなく、タレント性、企画力、回りのサポートがないと、続かない。

99_22000年21回山口衛里2:22:12 (大会新)レースは千葉真子が引っ張る形で始まったが、山口がすぐに追いつき、15Km付近から差を広げて独走、日本歴代2位の記録で圧勝した。アトランタ五輪優勝のロバは2位、バルセロナ五輪金のエゴロワは3位。初マラソンの千葉は失速して5位に終わった。

1995年第17回、浅利純子2:28:46が優勝して、ここから2000年21回まで日本人が優勝を続けている。18回藤村信子2:28:58、19回伊藤真貴子2:27:45、20回優勝浅利純子市橋有里2:28:29の同タイム。21回山口衛里2:22:1298_2

残り80メートルで一度は抜かれた浅利は「まだゴールまで距離があるから抜ける」と、ゴール手前30メートルで抜き返し劇的なゴールイン。 市橋は50センチほど及ばず同タイムの2位。自己最高を更新したが「優勝を逃したので満足していない」

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