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2006年10月18日 (水)

三国連太郎 出生のなぞ

Mother01 有名人の母を知ると、意外な発見ができる。「あの日 あの時 母の顔」(小学館)は、各著者が書いたか、取材されている。

最近は「釣りバカ日誌」で有名な三国連太郎の話は、平凡な話ではあると思ったら、最後でドンデン返しで、彼のキャラクターがここにもある。そういう話だった。

母を語るとき、男の子はみんなマザコンになっている。なんでだろう。当たり前かもしれないが。その点、三国連太郎は一味違っていた。

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Mikuni02  三国の母は、伊豆の伊豆松崎の網元の娘であったが、外洋へ出た船が遭難沈没で網元が破産し、父は自殺。娘である母は呉の軍人さんの家に奉公に出た。

呉から故郷への帰りに、沼津で同じ松崎育ちの父と知合い、結婚した。父は河津川水力電気の事務所で働き、土肥で小学校、中学校はそこで過ごした。

Mikuni01es 教育熱心な父は、「宿題やったか」「あるいはマキ割ったか」と厳しかった。当時はまきで風呂を沸かしたから、マキ割りは子供の大切な仕事だった。ところが、連太郎は遊びほけて、勉強はしないし、それを父は叱りつけて、教育しようとした。ところが、.母は、「連太郎は風邪をこじらせて、寝ていたから、勉強はできなかった」と、母は父にうそをついた。マキ割りは、母が代わってしてくれた。当然連太郎が罰を受けなければならないのを母はごまかしていた。連太郎は、そういう母のごまかしが嫌だった。母が嫌な人に見えた。叱る父のほうが正しいと感じていた。

ある時期から、父は母を置いて家を出て、愛人にところに行って帰ってこなくなった。

三国連太郎は、自身の結婚を機に、そこで家に母を引き取った。母はみんなが仲良く暮らすことに気を使った。そんな折、愛人と暮らしていた父が倒れた。父を愛人と共に引き取ろうとしたら、母は猛烈に反対した.「それでも引き取るなら、私が出ていく」と、母は父とその愛人にはっきり言ったので、父と愛人は西伊豆に戻った。

母も家を出て妹と一緒に暮らし始めてから、脳軟化症で倒れた。死ぬときに「政雄〔三国連太郎の本名〕にすまないことをした」とつぶやいて逝った。「すまないこと」って何だろうと気になっていた。「母が死んだ」と、父に報告にいったときは、父は天井を見て何も答えなかった。

翌年、父の亡くなる二日前、病院に見舞いに行った。折をみて、母が言った「すまないこと」って何か、と聞いた。父は何も言わなかった。

しばらくして、おもむろに「おまえは…おれの子ではないんだ…」と言った。おふくろが奉公先で若い軍人さんと知合い、妊娠したのだそうだ.。それが奉公先に知られて、追い出されて、死を覚悟して故郷の沼津に戻ってきて、気分が悪くなり、父に介抱してもらった。

わらにもすがる思いで、父に身の上話を話した。「分かった。そのお腹の子はおれの子として育てる」と言って、親父はおふくろと結婚したそうだ.。父に対する母の気の使いよう、ぼくをかばう様子、「政雄にすまないことをした」の言葉の意味が氷解した。

すまないことをし続けてきたのは、ぼくなのに…。

私たちが勧めても、母は、愛人と暮らしていた夫との籍は決して抜こうとはしなかった。愛人としていっしょに暮らした女性に「母を父と一緒に墓に入れたい」と頼みました。00008_14

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コメント

 すごい昔(たぶん中学とか高校とかの頃)に「あの日あのとき母の声」を読み、三国連太郎のこのくだりが、鳥肌が立つほどの感動を覚えたのを、いまだに覚えています。

 本は借りたものだったので、手元になく、タイトルも忘れてしまい、それでもいつか読みたいなあと思っていました。
 この記事で本のタイトルがわかり、うれしかったです!

 自分のTwitterにも、この記事のリンクを貼り、ツイートさせていただきました。事後報告になってしまい、すみません。

アカウントは@kandoyawa1 です。

投稿: | 2016年6月 5日 (日) 13時54分

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