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2006年10月23日 (月)

青山学院短大シオン寮と合コン

  • Sinaii021信愛学舎竣工式  早稲田信愛学舎へ入寮して1年経過したころ、昭和37年秋になって寮祭をしようと発案。最初の回は青山短大のシオン寮、翌年以降は恵泉短大だったらしい。両方とも、ミッション系。

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これも寮を建設したOB会員、理事だった松下さんから、「アメリカでは、何々を、こうやっている」とよく聞かされていた。新入生にはストームを掛けるとか、オープンルームをやる、等々の話を聞いた。

 

 そんな流れから、寮祭をやるならどこか女子大生を招待しよう、となった。そこで、青山学院短大のシオン寮へ有志が交渉に出かけた。「魚心あれば水心」で話をまとめてくれたのは、浜松出身のO兄だった。彼の実家は映画館などやる興行師の家だった。経緯は不明だから、今度会うことになった同窓OBに聞いてみよう。

Sinai052鎌北湖へハイキング ミッション系の青学、第一シオン寮、第二シオン寮から1年、2年で20人呼んだ。行きたい希望者が多く競争だったらしい。女性禁止の学生寮が、当日はぎやかになった。OPEN ROOMで開放して彼女達に見せた。

 

要領のいいのは表で接待の役、我々は裏のボイラー室で焼き鳥をせっせと焼いていた。出番で呼ばれて、私は考えていたストーリーで腹話術、人形をつかってやった。人形といっても本格的な腹話術人形ではないが、受けた、受けた。笑ってくれた。これで知名度アップで、人気者になれるかと思ったら、当時「お笑い」は、今ほど女の子にモテル材料ではなかった。

Sinai042 やっとプログラムがおわって、次にホークダンスを前庭でやった。近所の子供たちや大人が眺めていたが、音楽をかけてホークダンス。ちょうど人数があうように男女同じ数になっていたが、見栄えのいい女の子は、人気、けっこう男同士で取り合っていた。それでも、何組かカップルができた。

ホークダンスで手をつないだ子が、「腹話術の・・・」と覚えていてくれた。それではと、後日青学シオン寮にドキドキしながら電話すると、軽く「お断り」の回答だった。残念。

N兄はすぐ両思いになってその後もずっと付き合っていた。彼は途中退寮したから、その後は不明だが、結婚したかもしれない。H兄は1年生のかわいい子をかなり強引に誘っていたとか、評判だった。主催立案者のO兄は青学側のしっかり者の代表幹事が積極的と聞いたが、彼はそれほどではない風だった。この寮祭がきっかけで人生の伴侶を得た人いないでもない。

そうして花の渦中の時間があって、それからひそかに付き合いがまだ続いて、理工学部S兄と法学部S兄の企画の合コンで、男が不足で私が人数あわせで呼ばれて、相模湖あたりにハイキングに車で行った。

二人は楽器を奏でて盛り上げていた。その日、帰りに私は風邪で熱がでて最悪だった。法学部S兄から帰省途中で中央線甲府駅で市内の某医院に電話してみてほしい、と頼まれて電話した。それがその寮祭から続いていたガールフレンドだった。そのころは携帯電話なんてない時代だから、そんな電話を頼むこともあった。00008_188 

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