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2006年10月23日 (月)

早稲田信愛学舎 喧々がくがく

Sinai031 見えない神をどう実体のある神と信じるのか。やみくもに神を信じたり、偶像を崇拝する信仰を押付ける議論をする者はいなかったが、その中で、同級生ではあるが、学Y(キリスト教青年会)の古参近藤兄は皆の意見をリードしていた。

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「良心の呵責、このときに感じるのが神の存在だ」と異教徒、浄土真宗の中に暮らしてきた一般人にわかりやすい的確な解説をした。入寮当初の我々は迷える子羊、信仰とはなんぞや、このことで毎夜議論が続いた。この話し合いは近藤富雄兄の部屋に集まって、喧々がくがく、話を遅くまで続けた。

Sinai051鎌北湖へハイキング  キリスト教洗礼を受けてYMCA活動をしている人と今回信愛学舎に入った人では、キリスト教の知識の量でもかなり違っていた。議論してもかみ合わない。先輩会員の近藤兄が中心になって夜よく話し合いをした。

信愛学舎では、朝の礼拝七時になると起こされて、食堂に集まった。舎監の岩波さんの説教と礼拝、その後の食事に遅れることはなかった。最初数ヶ月から半年は、みんなきちんと起きて、参加した。

Ymca21_1  この礼拝の司会進行も、舎監の担当から徐々に我々寮生もすることになった。しかし、信仰のアマチュアには案外きつい担当だった。

 前の晩に原稿を考えて言うのだが、自分がキリストの奇跡や復活を聞いてもよく理解できていないし、信仰というより知識にすぎないことを述べるのは、この役目は力の入れようがなかった。信じていないキリストの存在を信じているようには言えない自分がいた。

Sinai041生のなかでも、子どものころから教会に通っているクリスチャンは、キリスト教に通じているし、みんなの前で語ることもあるのだが、私は大学に入ってからのほやほやの新米だから、語るべき論理に疎かった。仲間は皆、自分よりキリスト教をよく知っていると思うと皆に語るのは負担だった。

野球でいうと、リトルリーグで野球を始めて中学、高校と続けて、大学に来た選手と、野球が好きで大学で野球を始めた、その程度の差があった。多分そのくらいキリスト教の信仰にも知識にも差があったと思う。

Photo_9前にあった木造5階の信愛学舎は戦時中、危険な建物として取り壊しを余儀なくされて、ずっと寮のないキリスト教YMCAだった。戦後、先輩OB、理事等が企業を回って寄付をつのり、鉄筋コンクリートの建物ができた。できた建物は、ボイラー室で重油をたくセントラルヒーテイング、ガラスは透明の外から見える建物だった。近代設備が整った学生寮だった。

Pict0004_72本間勝さんの「並木たより」から引用  李大釧(毛沢東の師)の事跡を調べていたら、戦前 の信愛学舎の写真が出てきた。留日中華基督教青年会寄宿舎から衣替えして、早稲田大学基督教青年会信愛学舎となって30年、多くの人材とそしてエピソードとを輩出してきた。 

1945年(昭和二十年)秋、惜しくも伝統ある「緑の館」は取り壊されてしまった。理由は「空襲目標にされるから」と。しかも、撤去時には戦争は終結していたのに。1960年、現在の信愛学舎が再建される。それから早や47年、そろそろ次の「頁」を用意せねばならない。

大正の始ころ、毛沢東の師で早大出身の李大釧は、今の西早稲田にあった留日中華基督教青年会寄宿舎で、毎日、オルガンをひいて讃美歌を歌っていた中華民国留学生であったそうな。1980年代に、中国で、生誕100年記念の切手が発行されたらしい。その「留日中華基督教青年会寄宿舎」は、彼の卒業直後に「早稲田大学基督教青年会信愛学舎」に衣替えして、第一回舎生小出省吾(後に児童文学作家)と沖中恒幸(後に経済学者)の時代が始まる。

できたばかりのカーテンもない学生寮に入寮したのが、80名の応募者から選考されたわたしたちが、一期生20名だった。昭和36年9月だった。選考した理工学部の植松先生によれば、キリスト教に関心がある人を主体に真面目そうな学生を選んだ、ということだった。

Sinnai011一度、近くにある友愛学舎へ遊びに行ったら、古色蒼然のレンガの建物、これは奉仕園と同時に作った建物だったから、すっかり古くなっていた。でも個室は信愛と違って、学生寮の歴史を感じた。

二十歳前後までキリスト教に触れていないし、知らなかったものには、キリスト教は異文化であった。その以前の知識、信念が固いものほど、この信者として洗礼を受ける段階へ気持ちがついていかない。ノンクリスチャンには、この信愛学舎に2年なり3年なりいても、キリスト教の匂いをかぎながら、信仰を持つに至らなかった。別にここで強制、矯正される場所ではないから、それでもいいわけであるが。

 はっきり、クリスチャンとして洗礼を受けるに至ったのは、病気になって、近藤兄が一番鮮明だった。クリスチャンホームで育った人などは、最初からキリスト教的素養があり、それで律せられて生活しているから、ごく自然だと思うが、仏教の日本人には、クリスチャンにはなれないまま卒業していく。

よく洗礼を受けて信仰するには、大きな淵があって、それを飛び越えないと信仰はもてない、そういわれていた。卒業後、クリスチャン会員は集まっても、信仰で結びついているような雰囲気があったが、非クリスチャンは、どうも、つながりが薄く、卒業以来、音信不通ですごしていた。

翌年、新入生が入ったら、伝統を伝えなくてはならないと、無理やりに、入ったその日の夜かな、布団マキにして、四階屋上にあった風呂場に担いで連れていって、水風呂だったか、そこへ放り込んで、一人の学生が泣きそうになった。その物音で気付いて部屋にカギをかけてしまい、全員にストームを実行はできなかった。

寮生活の信仰的な雰囲気に反発して、いろいろな行動をするものが出たのは、その後である。

Shinai581 現在の信愛学舎 門限になると、正面入り口は施錠された。門限すぎると、夜中非常口からダタガタと登って、窓から侵入する猛者もいた。夜中オカマバーでアルバイトして武勇伝を語る異端もいた。舎監の岩波さんもカッカしていたことだろう。00008_187 

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