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2006年9月21日 (木)

ベトナム戦争 沢田教一の写真から

Vetio003_1  ピューリッア賞を取った沢田教一の「安全への逃避」という写真が朝日新聞(18).9月20日に載っていた。

あの写真は、有名だから知っているが、その水の中に逃げる理由は知らなかった。

ベトナム解放戦線(アメリカ軍通称ベトコン)の村に軍用ヘリから降りた米兵に隠れていたのを追いだされて、川を渡れと指示された。理由は、近くに隠れているベトコンどんな反応するか、見たかったのらしい、と当時少年だった男性(写真の少年)が説明した。

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Veto02ベトナム戦争とは一体何だったのか?1960年代初頭から1975年まで、南ベトナムと北ベトナムの武力衝突は激化し、ベトナム戦争が繰り広げられた。米国は南ベトナムを支援し、旧ソ連と中国は北ベトナムを裏で支えた。戦争の実態は、冷戦を背景にした政治戦略戦争とも言えた。米軍は年間50万人近い兵士を戦地に送り込み、戦死者の総数は約6万人に達し、南北ベトナム人民の戦争犠牲者は200万人を超えた。また、米軍が大量に空中散布した枯葉剤は、今もベトナムの地に後遺症を残している。
 UPI(United Press International)通信社は当時、多くのカメラマンをベトナムの地に投入した。命がけで撮影された数々の写真は、今も人々の心に何かを語りかけてくる 。
ベトナム戦争写真

参照 参照2 参照3 参照4 参照5 参照6 参照7 参照8 参照9 参照10 参照11

Veto01路上で僧侶が焼身自殺したら、「バーベキューだ」と南ベトナム将軍の夫人が揶揄し、人命無視だと物議をかもした。あれは強烈だった。

テト攻勢の最中に、グエン・カオ・キ副大統領側近であるグエン・ゴク・ロアン警察庁長官が、サイゴン市警によって逮捕された南ベトナム解放民族戦線将校、グエン・バン・レムを路上で射殺する瞬間がテレビで全世界に流された。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 

1127973988サイゴン市警察の最高の地位にある責任者(副大統領グエン・カオ・キの配下)が、路上でベトコン幹部の側頭部にピストルを突きつけ、男が顔をゆがめて、今射殺される瞬間が世界中に配信された。

ベトナム戦争時には、日本社会もずいぶんいろんな影響があった。それにからんで思い出すことが一杯ある。

新宿西口が土曜日になると、あそこが解放広場になった。反戦運動の拠点となって、反戦FolkSongが広がった。ギターを抱えて歌う人々の周りに人があつまって大ムーブメントになりつつあった。その動きに、駅と警察が神経を高ぶらせた。

新宿駅「西口広場」で集会が有名になり始めたころ、私も一度行って見たいと思っている間に「西口通路」と名称変更されてしまった。警察の方針で、通行人の邪魔になるからという理由をつけて集まってくる人間を排除し、集会をさせなかった。単に警察だけの意向ではなかったのだろう。アメリカのベトナム戦争に協力していた日本政府は、アメリカに気をつかっての行動だった。

市民のベトナム戦争に反対の意識は高まって、「ベトナムに平和を」(ベ平連) 参照 がもっとも明確な運動をした。行動としては、アメリカ軍の戦艦が寄航したら、戦争反対兵士に亡命手引きをした。スエーデンなどの戦争に反対する国に逃がしてやった。

私の体験 昭和43年頃、(北区)王子に米軍の野戦病院を作るという話で大騒ぎになった。王子へ行くと、デモ隊が毎日集まって機動隊と対峙している、と連日報道していた。王子は私が住んでいた田端から近かったので、3月末見物に行った。デモに行ったなら、使命感があるといえるが、私は見物だ。

王子駅を降りたときから、すでに雰囲気は違っていた。少し暮れてきたころから、機動隊は人々を規制している。学生中心としたデモ隊は機動隊ジュラルミンの盾を蹴飛ばしたり、さおで衝いたり、やっていた。機動隊は何もしなかった。デモ隊にやられっぱなしだ。

これが、機動隊の作戦であるようだ。隊員は、この間にデモ隊憎しの気持ちが高まる。司令官は機動隊の心理を読んでいる。

数時間、機動隊は我慢していた。かなりエキサイトしてきた頃に、指令の旗と共に「カカレ」の合図で、機動隊員が行動を開始した。デモ隊の優勢なところでは、機動隊はジュラルミンの盾をうばわれて、王子のどぶ川に放り込まれた。

投光器で照らし、人の多いところに向かって催涙弾が打ち出された。機動隊員は猟犬のように、餌を求めて走り出す。デモ隊に棍棒を持って殴りかかってきた。殴ることが公務である。地方から出てきて機動隊に入った人は、学生やシンパは敵と教えられているのか、敵愾心をもってぶつかっているようだった。

私は見物のつもりであったので、動きやすいようにジャンバーを着ていた。それががまずかったようだ。デモ隊が群集に紛れ込んだ風に見られ、目の前に来た機動隊に革の長靴で向う脛を思い切り蹴飛ばされ、眉間にパンチを食らった。メガネは飛ぶ、鼻血は出る、向う脛は痛む。機動隊さん、鍛えているだけあって、強い力だ。

飛んだメガネを人ごみの路上で探した。やっと見つけて、あたりの光景を見ると、催涙弾が飛来して近くで炸裂、それを機動隊に投げ返すものあり、混乱していた。デモ隊の救護班から「目を水ですすいでください」と伝言が聞こえた。私は催涙弾の粉をちり紙に一握り包んで記念に持ってきた。

鼻血は止まらないし、向う脛は痛くてたまらない。戦うつもりではないので、退散。帰るしかない。と、痛い足を引きずってJR王子駅のトイレで顔を見る。鼻の辺りは血だらけ、殴られた跡が青くなっていた。顔を洗って帰宅。

向う脛は一ヶ月ほど青あざが取れなかった。骨にヒビが入ったのかもしれないが、なんとなく治った。これって、国家への反逆?それとも愛国心?00008

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コメント

はじめまして、大翔と申します。

ネットで沢田教一さんを探していたのですが、なかなか気に入るHPがありませんでした。
実は、野沢さんのブログをコメントの中でリンクしたいと思ったのですがいかがでしょうか?
もし、お気に召されないときは、お手数ですがご連絡下さい。即リンクを切断いたします。
突然で勝手なお願いをお許し下さい。

投稿: 大翔 | 2007年10月26日 (金) 14時30分


ベトナム戦争をいちまでも記憶にとどめてもらうには、あなたのような心がけの方が一人でもいてくれることを望んでいます。

写真は引用ですが、ぜひ地球上の人々が戦争の実体を知ってくれるように、リンクしてくださあい。

投稿: 沢田教一 | 2007年10月28日 (日) 20時06分

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