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2006年9月 7日 (木)

講和条約 日本は占領されていた

00001_8歴史は動いた」(NHK)で昨夜やっていた。歴史の証人になるほど知らないが、私の生きてきた中にもう「歴史は動いた」がある。

アメリカから送られた家畜の餌という「脱脂粉乳」が給食だった。あの頃でもうまくなかったが、アルミの食器一杯、ムリしても飲み込んだ時代があった。

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家畜の餌だというのは、都市伝説でウソらしい。日本の食糧事情を知った善意のアメリカ合衆国市民の団体が、日本の子供たちの為に実行した支援だった。しかし日本が急速に経済復興し、支援を開始した時点では遅すぎたという話もある。ちなみに「米政府が国策で家畜の餌を日本に送った」「豚も下痢する飼料を日本の子どもに押し付けた米政府」というのは都市伝説である。引用元

講和条約が成立したニュースは中学一年の秋の遠足のさなか、聞いたような気がする。秋のいい天気だった。「日本も独立したんか」と思ったが、独立前、子供の世界には不便や不自由が何もなかった。

Yoshida20805_column_02 吉田茂首相(自民党総裁候補の麻生太郎さんの母方の祖父)は、アメリカとの交渉で、アメリカ主導で講和会議を開き、多くの国と講和条約を結ぶことになった。

今次大戦では、アジアの各地、中国、朝鮮、フィリピン、マレーシア、インドネシア、タイなど多くの国々に戦火は広がって、それらに国々の人々の多くに不幸をもたらした。大いに日本国民はそれを知っていなければならない。靖国神社の主張「日本は自衛のための戦いで、アジア諸国に独立を促した」とばかり言えない。(アメリカ軍の砲撃で国土が荒らされている分も多いが、敗戦国はそれが言えないようだ。)

00002_8 講和だ、講和だと日本の立場ばかりを主張すると、講和条約に出席している、戦禍で傷ついた諸外国から反発を受ける。そこで、日本はアメリカのダレス長官が講和会議の取り仕切りを任せていた。

アメリカは、6年8ヶ月間日本を占領統治して、日本の従順さを買っていた。その間に、朝鮮戦争が勃発していたし、ヨーロッパでは東西冷戦がはじまっていた。そうなると、いつまでも占領しておくのは、得策ではないと、判断した面がある。

そのときまでは、世界平和、人権を尊重する民主的な憲法を持たせ、理想主義の国家建設を理想としていた。そういう理想が、冷戦下の世界ではそれが通らなくなったという背景がある。

1548 敗戦後の日本は、今のイラクなどと違って、まったく牙を抜かれて従順になったのか、アメリカや連合国の占領に組織だった反抗はまるでなかった。むしろ歓迎というか。外人用の慰問所、接待所を作ったり、性のはけ口の配慮したり、アメリカ軍と直接接する日本担当者は、進駐軍が気持ちよく過ごすために苦心していた。(日本の婦女子に被害が及ぼさないためであるが)

イラクなど、イスラム圏のイランやイラクがアメリカに反抗して、逆らう精神、プライドが、理解できないだろう。日本人は、負けると、精神まで負けておとなしく従順になる。戦時中の勇ましい精神はまるで失くしてしまう。アメリカ人もわかりにくいだろう。あるとき、また、コロッと反アメリカになるかもしれない、不気味さはある。

ついでだが、アジアのイスラム圏の人と宗教について論争になったら、噛み付いた犬みたいに、一歩も引かないよ。日本人のように、話をマアマアと妥協しない。この宗教に裏打ちされた主張の強さは、戦争になった場合、死んでも、孫子代々まで、恨みを忘れないだろう。

コロと変わる日本人の節操のなさ、無宗教と似て、信念にしがみつくより、生存には向いているかも。ユダヤ対イスラム、キリスト教圏とのイガミあいより賢いかもしれない。程度問題ではあるが

講和に際しては、ぜひ、日本を西側の一員として、引き込みたいという願いがアメリカのダレス長官にあったので、吉田茂との間に寛大な条件で独立する下地を作っていた。

講和会議を開くと、各国から不満や意見が続発した。まずソ連のグロムイコ外相が手を上げて、この講和会議をブチ壊すような発言をした。

Ro1521 ソ連・グロムイコ代表の演説
「あらゆる議事を始める前に、ソビエト代表団は中華人民共和国をこの会議に招待することを提案する。中国は長い間、軍国主義の日本からひどい侵略を受けた。最大の犠牲者は中国だ」(サンフランシスコ講和会議の記録映像より) だから、中国を招待するのが当然である、という。

中国は、内戦状態であるという理由で、ダレスは講和会議に招待しなかった。同じような理由で、朝鮮半島の韓国と北朝鮮も招待しなかった。もう一人、痛烈に日本を非難した国があった。フィリピンの外相である。

Ro1523 フィリピン・ロムロ代表の演説
「あなたがたが我々に与えた傷は、どんな黄金やこの世のものをもってしても、元に戻せるものではない。しかし、運命は我々を隣人にした。我々は共に平和に生きるほかはない。そのためには我々が許しと友情の手を差し伸べる前に、日本には心からの悔恨と生まれ変わる証拠を示して欲しい」(サンフランシスコ講和会議の記録映像より)

 直接戦場になったフィリピンのロムロ外相の言葉は諸外国の多くの人の同感を得た。日本全権団随行員すら、「会議を通じ、日本人に一番深刻な痛みを感じさせたものであった」というほどであった。

 多額な賠償や領土割譲が強いられれば、日本は再生不能に陥る。 朝鮮戦争がぼっ発し、冷戦が激化するなか、日本を西側陣営に取り込みたいアメリカは、賠償請求などがない寛大な講和条件を提示。吉田は再軍備を密約。これにより、講和の動きは一気に進展する。
  昭和26年9月4日、サンフランシスコ講和会議の幕が開く。不参加表明していたソ連と東欧諸国が加わり、会議では東西陣営が激しく衝突。さらに、アジア諸国の日本に対する厳しい発言が相次ぐ。

1531   しかし結果、52か国中49か国が調印し、講和条約は成立。日本は寛大な条件による「独立」を勝ち取った。

吉田の講和条約受諾演説
「日本全権はこの公平寛大なる平和条約を欣然受諾致します」「日本はその歴史に新しい頁を開きました。我々は平和・正義・進歩・自由に挺身する国々の間に伍し、これらの目的のために全力を捧げることを誓うものであります」(「平和条約の締結に関する調書」より)

吉田茂の演説は、ロムロ外相のことを念頭にいれて、誠心誠意、戦後賠償を償うと言外に匂わせた言葉で、納得してもらい、52か国中49か国が理解してくれた。

1535さらに同じ日、吉田は米軍基地に向かう「日米安全保障条約」に調印するためだった。独立とともに、日本は「米軍駐留」「再軍備」という課題を背負うことになる。シリーズ後編は、寛大な条件で独立を勝ち取るため、吉田が結んだ2つの条約の功罪を描く。

「講和条約」と同時に「日米安保条約」を結ぶという手品のようなやりかたで、日本の独立と同時に安全を確保した。現実としては、安全を確保するには、アメリカの属国状態にならざるを得ないと、吉田茂は考えたのだろう。

一番強いヤツの子分になるのが、いじめに合わない処世術だと、転校の多い生徒はそれを身につけると聞いたことがある。独立したばかりに日本が本気で独立した気でいれば、戦争中にあちこちに被害を与えた国々は黙っていない。アメリカの威を借りて、そのカゲにいれば、そりゃ辛いこともあるが、こっちの方が甘い汁を吸える。

国家の立場を考えたら、アメリカの言うとおりにする、これしか選択する余地はない。与党政治家はそう思う。

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