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2006年3月21日 (火)

彼岸とは、あちらの岸

道を歩いていると、線香の匂いが漂ってきた。なんで、線香が匂うのだろう?今日は春分、彼岸ではないか。と気づいた。

この周辺は、寺院が多い。本願寺系浄土宗の門の前の掲示板に言葉が書かれている。こちらの寺には塙保己一の墓がある。塀に囲まれた墓から、煙の匂いが漂っているようだ。今日は風はそう強くないし、暑くもない。暑さ寒さも彼岸までだ。

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江戸時代、火事が多かった。ふりそで大火のあと、幕府は浅草周辺の寺を江戸の郊外、当時の郊外であったこの高砂に移ってきた。文京区の吉祥寺、駒込富士見町に、今も寺はあるし、墓もある。八百屋お七の放火後、中央線沿いの吉祥寺に移転した。

私の人生で出会った人たちが彼岸へ行っている。昨日ブログに書いた近藤君は、「愛と死をみつめて」のころ、いち早く23歳で逝った。水泳禁止の場所で飛び込んだ上原君は14歳だった。彼は鐘ヶ淵で飛び込んで、首の骨を折って水死した。高卒後、欝ウツでさまよった挙句、鉄道自殺した○○君もいる。彼は、英語の授業、私の隣にいて色白の秀才だった。安藤君、彼は終電後線路で寝ていて、始発にはねられて死んだ。健康でも、夜中に大声上げて心臓麻痺で死んだ奥村君もいる。

それ以前、小学校1年生の同じクラスで、本州製紙工場内のトロッコに轢かれて死んだ子がいる。いまだに親は「生きていれば、こんなになったんだね」という。同じ会社の人は聞いている。小6で柿木から落ちて、腹に竹が刺さって死んだ高田君がいる。

義兄(佐々木紘一)は、いつも心臓が悪くて、ある日、急に苦しくなって、札幌駅前のベンチで倒れ、救急車で運ばれて死んだ。義弟(佐々木彰)は、昨年鉄砲水に流された。すい臓ガンで死んだ父(野沢錠一)は、ストレスが高じたと思う。原因不明で原因を特定できない死もある。父の姉、妹達、おばさんたち7名は、80代、90代で老衰で亡くなった。

Honda6 本田美奈子は38歳で亡くなった。死の寸前彼女の母親が聞いたAmazing Graceは、死の一週間前、洗髪していたとき本田美奈子は歌っていたのを母親が聞いていたとか。彼女に死は確実に近づいていた。「Amazing.mp3」をダウンロード

わが友、常念(浅野勇君)は、咽喉を取ってしまい、島根大学病院のベッドの上で筆談をした。「死は生とは一体である。死は怖いものではない。死んだら献体して切り刻んでもらうんだ。」と意気軒高であった。彼は退院してのち、声帯笛をつけて声を出して話ができるまでになった。それで、車を運転して中学生の息子を神戸の本願寺へ連れて行き、得度させた。これがかれの最後の仕事となった。後継ぎがいない寺に一粒だねを残して、逝ってしまった。

土方の叔父さん(父の妹の旦那)は、ガンと言われて寝ていた。大学生の私は従弟横田寿夫君とともに恵那市東野の家を訪ねた。おばさんは喜んでくれた。数時間の訪問であったが、叔父さんは横になったまま、健康な若者をうらやましそうだった。それから半年後、亡くなった。連れ合いのおばさん、20数年後、最近亡くなった。

うちの父野沢錠一は、私が呼ばれて病院に行ったときは、もう目が見えなかった。衰え果てた父の姿を見て、私は言葉を失った。人はこうも、姿が変わってしまうか。目はくぼみ、しわだらけ、私は何もいえず、じっと立っていた。他の兄たちがいたが、涙で周りが見えなかった。今から二十五年も前のことではあるが、昨日のように思い出す。

小さな子供をあやすように、父は6番目の子供である私の手を握って腕をさすって、確かめていた。父のなすまま、身を任せていた。父の様子から、確実に、死の影が見えた。私は、父には40歳のときの子だから、いつまでたっても幼な子だろう。幼児のとき、姉の家、杉野町の丸仙へつれていかれ、新聞の文字を指さし言わせて、父はわが子を姉に自慢していた。そんな昔を思い出した。

すぐ上の兄(三男)は、父に向って「もう観念して(死をむかえろ)」と伝えたという。この一言を伝てそれから、二週間後、父は死んだ。82歳だった。死を迎えるために覚悟がいると兄は言っていたが、その言葉を必要だったか、いまも考えている。

皆、彼岸へ行くのが定めではある。今では、彼岸に大勢知り合いが待っている。そんな場所が彼岸か。

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2006年3月20日 (月)

愛と死をみつめて

aisi1大島みち子と河野実、二人の青春と人生がちょうど東京オリンピックの少し前で、私の大学生から社会人になるころだった。「愛と死をみつめて」の本は、私の青春そのものとオーバーラップしていた。

こんなに利発で、明るく、お茶目な子が何で死ななければならないの?ミコ大島みち子が明るければ明るいほど、そのけなげさに泣かされた。そんな気持ちで読んだ。

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aisi2故郷の姪に読ませたいとお土産に買っていった。現実の女の子がこうなることを期待しても、そうはいかないが。

最近、広末涼子のイメージから清純さが消えていたが、この役で、復活したような印象だ。

大学生の時、骨肉腫で命を落とす若者が身近にいた。大学2年のときは、元気だった。ある日、右足に違和感があると言いながら、寮の廊下で私と相撲をとった。体格はいいが、足をかばってか、強くはなかった。少し、腫れていた腿を見せてくれた。しかし、まさか、と思っているうちに帰郷して手術した。

兵庫県尼崎市西大島東下川田386 近藤富雄兄、彼を思い出す。彼は私と同じ年ではあったが、しっかりした青年だった。夕食後、誰もいない食堂で、彼は私のために、二時間以上時間を割いて、生活のなかで真剣に生きていないことを指摘した。目を見て、相手のために真剣に踏み込んで、人のために語る近藤君に打たれた。真剣に対話する人だった。

死のふちで、彼は死にたくないと叫びつつ、キリストに帰依、洗礼を受けてクリスチャンになった。彼の信仰は人間の苦しみと葛藤の中から生まれていたから、浄土真宗の風土の中の私にも分かりやすかった。彼の死で、その後の私の人生も影響受けた。いまでもそう思っている。

彼の死後、そう経たないときに、「愛と死をみつめて」が出ていたから、彼女大島みち子の死は、身につまされた。「かわいい子を神は連れて行かないで」と叫びたい気持ちで、この本を読んだ。

そのころが私の青春でもあった。あの若さ、あの青春には戻れない。かの地に近づきつつある。それを大島みち子の死をテレビで見て、泣けた。近藤富雄君のいる地に思いを馳せる。きょうは彼岸だ。

人間、死を目の前にすると、一皮むける。大島みち子には、それがある。しかし、河野実はあの本を出して大儲けした。その出版した会社に入社して、嫁さんまで「愛と死」のフアンからもらった。ミコの余慶で生きてしまい、それを見ると腹だたしさは大いに感じる。

生きるということは、そういうことだが。大島みち子の身内は、その河野実に、本の収益の半額くれとか、とやかく言わない。大島家のすがすがしさを感じている。

「ミコは 甘えてばかりで ゴメンね」と、歌っているが、アレは、あとから考えた歌詞だろう。生きていたら、マコは完全に尻に敷かれている。人生、予想はつかないが、いまごろ、キャスターの小宮悦子か、▲▲美さんになっていたかもしれない。

aisi3150万冊売れたという、一種社会現象だった。

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2006年3月15日 (水)

初恋の人

大昔の好きだった初恋の人と会って、どうなるものでもないし、心に描いていたイメージが崩れるのはいやだ。と、よく人はいう。

小学校1年生のガールフレンドなんてね、本当に相手と相性がいいか、わかったものではない。その子の前で屁一発こけば、崩れてしまう関係でしょう。そんなに相思相愛というわけではない。竹馬の友という程度。

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中学生のときに憧れていた女の子と結婚してみて、アレレレと思うことがいくらでもある。ある人の妹のだんながそうだという。外見とか、ひと目で好きになるというのは、ほぼ外見からだ。外見から入らないことには、接点を持とうとは思わないけれど。

内面と外面、美醜のギャップは、どっちが大きく感じるものか。目鼻耳、大げさにいえば、付いていりゃいい程度のものだ。ところが、たとえ外面が可愛くても、内面は亭主にインシュリンを打って殺して保険金を奪うつもりの人もいる。まだ事実がわからないから、勝手なことはいえいないが。

外面は、その人の内面に入る接点を持ちたいかどうか、その決め手にはなる。「美人は三日見れば飽きる。ブスは一日で慣れる」そういう格言はあったように思う。気立てが一番ということに気づくまでに人は時間が掛かる。

そんな迂遠な話は別として、「初恋の人」は、ずーっと「洋子」ちゃんだと思っていた。この文を読んだある人は、洋子ではなく「れい子」ちゃんだという。そんな、間違ったまま覚えていたなんて。その人は「れい子」ちゃんの家に遊びに行ったというから、そっちの記憶のほうが正確かもしれない。

私が学校に入った頃は、教室の教壇から右半分が女子、左半分が男子に分かれて座っていた。そんな時代だから、女の子と親しく話す機会もないし、名前が書いてあるのを確認した記憶はないから、「洋子」チャンではなく、その人のいう「れい子」チャンが正解か。

それにしても、せっかく「洋子」と覚えていた60年の時間がむなしいというか、長く違って覚えていたこの労力はなんだっただろう。実際は、「れい子」チャンかもしれないが、私が抱いてきた「初恋の人」は、このまま「洋子」ちゃんでいい。

この洋子ちゃん、ご飯を茶碗にくっつけたまま「ご馳走様!」といってしまうというから、案外神経が太いかもしれない。だんだん大人になると、その部分が拡大して、そうとう繊細なタイプとは違うだろうね。

すると、今は、「ラジカセばあさん」になって、布団をたたきながら「引っ越せ!引っ越せ!」と近所の人から鼻つまみになっていたら…。そんな人ではないと信じつつ、小学2年で引っ越して行った「初恋の人」の幸せを祈る。00008_47 

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2006年3月14日 (火)

中学3年の初夏

ChugakuTsuneoNozawa アレないか、と探していたが、原本は見つからなかったが、コピーがあった。

中三の受験勉強のさなかに、50年前の中学生は、文集つくりに熱中していた。これじゃあ、成績がいいはずがない。回り道、余計なことやっていた。受験勉強で研ぎ澄まされた生活は、望んでもかなうはずはないが。

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模擬テストしても、先生方は知っていただろうが、生徒の学年成績順位は発表がなかった。生徒が成績で優越感、劣等感を持つことを嫌った恵那地方の教育風土の結果だ。

中学3年の初夏に中日新聞(当時、中部日本新聞)に詩の募集があって、投稿しようと考え書いた作品「理想をもて」だ。初めてにしては上出来だと思っていた。歌にしたら、2番、3番の言葉の数が揃わないとまずいと逡巡していたら、締切りが過ぎてしまった。

せっかく作ったのだから、と中3卒業文集に載せた。よく書けていると思われたのか、間先生が「自分で書いたの?」というから、「新聞に載っていたのを写した」と、ひねくれたことを言った記憶がある。

中学三年になって、急に生きる目的について考えるようになった。それを詩にした。大人の思考ではないが、精神的に脱皮を始めているように見える。

Honnsyuu1 もう一つ、「本州製紙に見学に行って」という文章も、働く目的に疑問を持ち始めたときの文章だった。大人へのターニングポイントだった。

決められた仕事を毎日繰り返す、そこに意義が見出せなかった。その単純な繰り返しで人間の歴史が築かれていく。それでいいのだ。という二つの考えで頭の中で争っている。そう書いている。

Honnsyuu2 A君は、自分の片思いを連綿と綴った小説「桜の花の下」を発表した。大胆な私小説そのものだった。彼のませた一面を平気で見せていた。彼の生涯変わらない「露悪家」がここにあった。出来上がった小説は、彼女に読ませるための工作でもあった。

彼のやり方は、クラス内をリードする雰囲気があった。だから、みんな自分の人生15年を振り返る作品が案外多かった。Hさんは、生まれたとき、黄疸が強く死ぬかも知れなかった話があったり、告白ものがあった。

謄写版でガリ切りの作業、紙の買出し、表紙はA君の版画を刷って作った。製本は日曜日に学校に出て作った記憶がある。最後に錐で穴をあけ針金で閉じた。Nさんのお父さんの大工道具から錐を借りておいて、終わったあと、ダーツのように投げて遊んで、錐をダメにしてしまった。そんな幼稚な結末だった。二ヶ月は文集つくりに手を取られた。A君の行動は小説のネタになった。

三年後、五年後、30年後には、懐かしくこの文集を見るだろう。そんなことが書いてある。30年は自分達の生きてきた2倍の長さだから相当の長さ、それ以上の将来は頭に入っていなかったのだな、と思ったら、それを越して50年後の今元気に動いている自分をみて、なんだ?と思っている。

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2006年3月11日 (土)

東京大空襲3月10日

War0310 東京大空襲3月10日 早乙女勝元が岩波新書に「東京大空襲」を発表して以来、東京の空襲がクローズアップされている。田舎ものの私は、東京大空襲は知らなかった。それ以前の関東大震災の事しか頭になかった。

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東京は被害者ではあるが、朝鮮半島、中国大陸は日本軍の被害を大いに受けている。どっちの人数が多いのか、それを比べて、日本が多いとか。少ないの問題ではないが、戦争は一般の人の被害が問題。

靖国神社に祭られているのは、戦争従事者だけだと一般に知られていない。戦争に行った人、戦争の公務員が祭られているだけ。戦災で死んだ民間人は靖国神社には祭られてはいない。

一人殺せば殺人罪だが、百万人殺せば英雄。これは昔からいわれている。

個人的には何の恨みもない相手を殺すのが戦争だから、これを維持するのは、極めて作為的な部分が国にないと戦えるものではない。戦争に積極的に出て、敵と戦った人に国はこうして丁重に弔っている。人々に嫌戦気分になるのを防ぎ、より戦闘意欲を掻き立てる役目をした。戦争に行けば国は面倒をみるということを知らせる役目が、靖国神社にはある。

東京大空襲をした米軍軍人に高校生がインタビューしていたのをテレビで見たが、その米兵(85,6歳)は、爆弾を落とすのに何のためらいもないし、地上がどんな地獄絵図になっているか、想像もしなかった。

そう米軍軍人は答えたが、江東区、江戸川区、荒川区あたりは火の海、死んだ人は10万人は越している。被害は一般国民。国内の被害は意識できるが、今イラクで行われている、米軍からイラク国民に突き付けられている銃口を意識できているだろうか。

口だけで言うのは簡単だが、私は行動が伴わない。日本人として、恥ずかしい。独立国のとして戦う国民、国家としての意識だけで憲法改正するのだろうか。これって、国民=資産をもっている企業、イメージしたほうが正解かもしれない。

もう一度、戦争被害者の日本国民として、こういうかわいそうな体験した日本人、平和憲法、男女平等、結婚の自由、生きる権利、法の下の平等など、国民主権をラッキーな形で手に入れたから、これは大衆側に来すぎたと体制側じゃ思っているだろう。

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2006年3月 7日 (火)

雑談、ムダ話の効用

PhotoPhoto_2 堺正章、井上順が、GSスパイダースとしてではなく、二人だけの全国コンサートをする計画をしているとかで、朝3時まで相談していたそうだ。ところが、30分の打合せ、のこり3時間はムダ話していたそうだ。そこを小堺が「ムダの中に真実がある」とフォローした。

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授業中に雑談する先生が、昔は多かった。だからか、私はムダ話が大好きだ。ムダ話をしない人は友達になりにくい。人生の楽しみはムダ話ではないかな。勉強一本でまっすぐ来た秀才のもろさをよく見るが、やはりムダ半分以上はほしい。クラス内で成績トップを走るより10番くらいで、自分の好きなことをやっているような、マイペースで歩くほうが安全、健全な成長をするような、気がしますね。

今は、余計な話をすると、授業の邪魔と嫌われる。授業が遅れると言われる。無駄話は、子供には興味があるが、世知辛い世の中になったものだ。

gifusengo_2_20_2 武典先生の奥様近藤愛子先生 ムダ話は、そのとき一番言いたいことだから、新鮮だし、話す人の一番気になっていることだから、聞く人に訴える。聞く側の心に残る。

私が小学校4年生だった時の担任近藤武典先生は、よく雑談をした。自分の意見をはっきりいうタイプで、親達にはアカという人もいた。子供には人気があった。今も夫人の近藤愛子先生ご健在で活躍されている。写真は近藤愛子先生

今思い出せる話では、教科書に載っていることも批判していた。国語の教科書載っていた文章で。落とした物を女神が返してくれた話で、一人だけを幸せにするのは間違っている。全員に幸せを与えなければおかしい。そのときは聞いていても分からなくても、大人になってから、ははん、とうなずけることがある。

太陽の缶詰という話をよくしていた。太陽の缶詰は、原子力を意識して話していたのだろうが、それを一個部屋に置いてあれば、明るいし、暖かいんだ。それ一個で何年ももつ。石油はあと数十年でなくなる。石油は枯渇するはずだという意識が、私にはいまだにある。他の先生からは、この種の話は聞いたことがない。

無着先生の「綴り方教室」が全国に広がった時代で、近藤先生も綴り方運動で活躍した。その時は担任が近藤先生ではなかったので、作文を書くチャンスはなかったが。高校生になったとき、そのA君と連れ立って、駒場の先生宅へ行った。A君は「生活綴り方」では先生の愛弟子ともいうべき存在だった。

そのときも、先生は、革命で新しい中国ができたこと、農民プロレタリアートが地主階級に勝ったことを熱く語っていた。学校ではないから、自分の信念を語っていたのだろう。

パールバックの「大地」をA君が中3で読んでいて、私もこの本を図書館で借りた。これも近藤先生の勧めによると彼は言っていた。案外先輩の勧めで読書を続けると、回り道をしないでいい本が読めるという利点がある。間違わなければ。

綴り方教育では、南校は近藤先生、東校は石田先生、影響を一番もろに受けた学年は我々だろう。近藤先生にはA君、石田先生にはK君。二人とも、左翼思想が根底に入ってしまったと思われる。思想と人生の方向で葛藤があったと思う。無着先生の作文教育は、一体どう決着したのか、不思議な教育だった。

5年生の新田平八先生もよく雑談をする先生だった。平八先生については別のところで書いたので省略する。そうだ、昨年暮に新田先生は亡くなられたそうだ。ご冥福を祈ります。

女の先生は雑談をしないことが多い。3年生のときだったと思うが、私達より1級下に先生の息子がいた。その子の自慢して、「あなた達も、もっと勉強しなさい」と発破を掛けた。あれはいくら相手が小さくても頂けなかった。そういうことは覚えているものだ。男先生は気ままに授業中に話始めると、一時間の半分以上雑談ということさえあった。

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2006年3月 6日 (月)

イングランド北の海

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イングランドの寒い海でもサーフィンをやっているらしい。寒さに耐える感覚が日本人の比ではない。なにしろサーフィンの発祥の地とか。絵奈たちのところから、この北の海へ10分以内で行けるらしい。

この写真は秀作だが、シャッターチャンスを狙って時間の掛かったもののようだ。クリスチャンが写真を撮り始めると、黙って待っているしかない。ドイツ人の几帳面さ、頑固さがある。

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Aila7 年末年始、クリスマス休暇を利用してドイツに帰省していた間の写真を送れ、と前から言っていたのに、やっと送ってきた。昨日電話でクリスチャンに「誕生日おめでとう!」と話したからか、やっと送ってきた。

00001 彼は日本で研究の仕事に就く手続きでてんてこ舞いだったらしい。スポンサーから奨学金決定通知が来ないと、動けないらしい。9月までは、ムリかもしれない。

Aila32アイラが日本から帰って半年、その半年で成長したことだろう。ドイツの家は大人ばかりで、幼い子供がいるだけでガラッと雰囲気が変わる。ビデオで撮ってDVDで送ってくれた。クリスチャンのお父さんは、初めての孫、かわいがっている様子がよくわかる。

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アンパンマンが大好きで、日本から送ったふりかけのケースはその一つで、お人形は自分が母親になった気で哺乳瓶で飲ませている。

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2006年3月 4日 (土)

豊臣秀吉の朝鮮出兵

Karairi豊臣秀吉の朝鮮出兵は、古い話だから日本の側はまるで歴史から消えてしまっているが、韓国、北朝鮮では決して忘れていない。参照 秀吉の時代、文禄の乱、慶長の乱、二回兵を出している。朝鮮では「壬申倭乱」という。秀吉の晩年部分は、彼の評価に入れない史家は多いようだ。

最初、九州に名護屋なごやという町を作って、そこから15万の兵が海を渡って朝鮮に攻め込んだ。戦国の日本を統一した秀吉の実力を「これ見ろ」と言わんばかりの勢いだった。

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064q051 592年4月12日に第一番隊が釜山に上陸、すると、朝鮮側は何も警戒していないから、日本側の大勝利で始る。なにしろ、朝鮮半島は李朝の平和な時代続き、500年も戦争の経験がまるでない。日本でいうと、江戸時代末期の様相で、王朝の士気が緩んでいて人民の不満が溜まっていた。

一方の日本は、100年にわたる戦国時代を経て、やっと統一されたばかりで、意気盛んであった。高校野球で言えば、数年間全国数千校のトーナメントをやりぬき、やっと頂点に立ったチームだ。日本は、戦争の技術が、世界的にみても最高であったかもしれない。

日本軍は、武器も優秀で、戦闘意欲もある。強いわけだ。李朝の兵隊は、銃もないし、国を守る意欲もないからまるで弱い。蹴散らして都へ攻め込んだ。加藤清正、小西行長はお互いに秀吉に忠誠を尽くすためにお互い競争をした。実際にはこまかい事情があるが。

晩年の秀吉は、母大政所が亡くなってから、精神的に不安定に見える。以前の秀吉には考えられない残虐な行為を行う。ぼけたという説がある。判断が狂い始めていたと多くの歴史家は見ている。

茶々に最初の子、鶴松が生まれて、その子に天下を譲りたいという思いで、養子秀次を殺した。それだけでは済まず、妻愛妾ら30名を京都三条河原で公開処刑した。折角生まれた鶴松であったが、この子は夭折する。すると、ますます秀吉は朝鮮出兵にこだわった。

朝鮮は、明に助けを求めて、日本の侵略をなんとか止めたいとしたが、李朝政府は民の苦しみがわからず、多くの民間人が日本軍の味方になった。李朝は崩壊寸前の状態だった。李朝はソウル(都)から逃げ出して、無政府状態になっていく。

Kikkou01_1 戦いが長引くと、そのうち、明の支援で戦いが日本の一方的な勝利という事はなくなってきて、民衆が結束、国土防衛の機運が高まってきた。そこで日本軍の一番弱い部分をねらってゲリラが成功した。今回の碑は、その一つであろう。食糧補給路などが特に狙われた。日本軍の特徴の一つは、戦闘は強いがその裏方、戦争全体の基礎を重要視しない。そこから多くの戦いの失敗が起こる。太平洋戦争でもそうだった。

Ridouzou また、春に始った戦いは、順調に勝ち進んでいたのは、秋口までで冬になって、補給ルートを保持できない夏装備の日本軍は、寒さに苦しめられた。わらじのまま雪の中を進軍して、凍傷で倒れる将兵が多く出た。また、海上の補給路もままならなかった。海の上では日本は船の構造からして、技術が遅れていた。李舜臣将軍率いる亀甲船の活躍で補給路が完全に断ち切られた。

明の援軍と和議をして、停戦となった。

勝ち戦の間に、日本へは陶工を多く連れて行った。日本の陶芸の基礎、発展は何千人もの朝鮮の人々があるからだと言われている。勝ち戦の証拠、何人を殺したか、それを秀吉に報告するため、朝鮮人の耳を殺ぎ落とし甕に詰め込み、日本に送った。これが軍人だけでは少ないので、民間人が多く犠牲になった。その耳塚が京都にはある。

加藤清正の虎退治は、このときのことである。虎は精力剤であると、秀吉は求めた。子供のほしい秀吉に高価なバイアグラを献上した。朝鮮から、あまりに多くの品物が届くから、秀吉は「もういらない」と答えたそうだ。各将軍から競い合って、献上品が届けられた。

明に攻め入り、インドまで日本の配下に置くことで、国内の不満勢力をそちらに向けられる。領土をもらえない武士の不満を解消しようと考えただろう。「中国へ進出するための道を借りたい」と言うのが、朝鮮へ進出であった。

考えてみれば、全国制覇した秀吉には、50万人の兵士、精鋭がいては、政治がやりにくい。その勢力をなくすには、外国軍と戦わせるのがいちばんいい。そう思ったのではないか。明治維新のあと武士や兵器をなくすには、西郷隆盛は朝鮮で戦争をしようと思っていたきらいがある。結局、西南戦役で西郷隆盛の鹿児島薩摩藩が力を失って、明治政府は安定する。それが、文禄慶長の役ではないか。しかし、秀吉政権は、うまく秀頼政権にはならなかった。

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2006年3月 3日 (金)

チャールズ・R・ジェンキンス「告白」

ジェンキンスの「告白」Jenkins 図書館に頼んだのは、いつだったか忘れたほどだが、前に30人予約があるとそのとき聞いた。葛飾エリアの図書館では4冊あるから、二週間ずつで年内に借りる番が回ってくる。そう思った記憶がある。ところが、そうもいかず、2月末になって連絡があった。

ジェンキンスさんの話は、曽我ひとみさんに出会うまでの話が長い。北の捕虜になって意地悪先輩米兵の話とか、報道されていない部分は、あまり親しみのない話題である。いろいろ書きたいのだろうが、どの話題も尻切れトンボ。盛り上がりに欠ける。

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日本人が興味があるのは、曽我さんと出会ってからだ。美花さんが生まれる前に、男の子を早産して死なしているとは知らなかった。ご苦労は多いのだが、実際の生活した人から聞くと、なるほどと思う。北朝鮮の実録などを読んでも、身近という感じではないが、これだけマスコミで知られた人だと、なるほど、と非常に親近感ある。

5人が揃って着いて、曽我さんが暗い顔して飛行機のタラップを降りてきたとき、この人だけはなんか仲間はずれのように思えた。日本を仮に旅行だけのつもりで、まるで北のマインドコントロール下に置かれていた間は、異星人に見えた。

日本の感想を詩で表現して、「ふるさとは美しい、空も、海も、山も、お帰りなさい」と呼びかけている。そう日本に喜びを表現していた曽我ひとみさんの心情が、私はイマイチよくわかっていなかった。

今この本読んでいても、北朝鮮で暮らしている間の生活は、実情が伝わらない。日本のマスコミに伝えられるようになって以後の実情が分かる部分、北の役人が小泉首相の書簡を持ってきた話などは、私の知識とリンクするから、突然トンネルから抜けたように明るく、すっきり分る。安心して読める。

長女美花と次女ブリンダとの性格の違いは、新聞やテレビでは分からなかったが、本では身内が書いているから、よくわかる。長女は生真面目なのか、北の教育に完全に影響されて、日本やアメリカは頭から悪いものと信じ切っていた。日本へ帰ることは、北朝鮮を裏切ることになると思っていたようだ。

父親は日本に行くべきか、北に留まるべきか、迷っていても長女には相談しなかった。日本に行く際も、北に帰ることを前提に連れてきたようだ。妹は、日本に行こうと積極的だったので、事前に姉に内緒で説明していた。

日本に来て、キャンプ座間の売店で姉妹に50ドル持たせて、買い物を自由にさせたら、もう夢中になった。物の豊富さ、行動の自由、そのことを知ったとたんに、北朝鮮の呪縛から解放された。この呪縛の解け方の早さに驚く。

ジェンキンスさんの収入は、一ヶ月120ドル(日本円で1万5000円~2万円)。北を出るとき組織が餞別2000ドルをくれたの残りを娘たちに渡した。いつもは、せいぜい数ドルのところを付き添った法務弁護士に「ケチケチするな」と言われて、思い切り、50ドルずつ渡して、正解だったようだ。

「見てごらんよ。北朝鮮の連中はなんというだろうね?あなたに2000ドル渡したばっかりに、娘たちはに対する共産主義教育の成果はあっという間に消えてなくなってしまったんだから。米軍基地でたった数分買い物しただけでね…」

長女美花に冗談で「やはり北朝鮮に戻ることにしょうか?」というと、答えは決まっている。「お父さんだけでどうぞご勝手に。私は絶対行かないわ」(本から引用)

前半の北朝鮮での体験談は、もたもたした文章だが、日本に来てからのエピソードを書いている文章とはまるで調子が違う。別人が書いているようだ。かなり編集者が手を加えているような印象だ。

タラップから降りてきたジェンキンスさんに曽我さん、強烈なブチューとキスをした。日本人の習慣以上の行動でびっくりしたが、曽我さんの必死さが出ていた。夫婦にだけ通じる意思表示と見たが、あれも家族内で話題になっていた。

今、観光名所の佐渡金山ゴールデン佐渡へ行くと、せんべい売り場にジェンキンスさんは店員として働いている。週に3回一日2時間だけ、見かける。テレビでやっていた。彼は、佐渡に住んでよかったじゃないかな。

2006年6月、史跡佐渡金山を管理運営する「ゴールデン佐渡」に、施設管理要員として就職することが決まり、6月17日に同社に初出勤した。

米国に一時帰国し高齢の母親との再会を果たしたが、生まれ故郷の人々からは脱走兵として批判を受け、必ずしも温かい歓迎を受けたわけではなかった。 00008_40

 北朝鮮による日本人拉致問題  ひとみさん、今どこに(写真展)   チャールズ・R・ジェンキンス「告白」

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2006年3月 2日 (木)

松下政経塾出身青年

Mayor 茨城県高萩市の孤児院で育てられた青年が高萩市の市長になった、と昨日の朝日新聞に紹介されていた。

お昼の番組(大和田獏司会)に民主党の永田議員の会見を受けて、自民党(山本一太、大村英章)民主党(松原仁ともう一人)で話しているとき、自民党から来ていた大村衆議院議員が「朝日の朝刊にこんな男もいる」と強調していた。

大村という男、数年前は鈴木宗男の腰巾着みたいに言われていた。顔つきも背格好も見栄えも悪かったが、最近は自前の意見が出るようになった。

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それにしても、松下政経塾出身者の議員が多くなってきた。この新聞に載った人もそう。

30代、40代で政治を志す人の多くがここの出身だ。あまり多くなると、また問題だが、目立つ、とにかく目立つ。以下、松下政経塾出身衆議員

氏名党派選挙区当選回数
逢沢 一郎1 自民党 岡山1区 7
小野 晋也1 自民党 愛媛3区 5
野田 佳彦1 民主党 千葉4区 4
長浜 博行2 民主党 南関東ブロック 4
松原  仁2 民主党 東京ブロック(東京3区) 3
笹木 竜三3 民主党 北陸信越ブロック(福井1区) 3
鈴木 淳司3 自民党 愛知7区 2
原口 一博4 民主党 九州ブロック(佐賀1区) 4
三谷 光男4 民主党 中国ブロック(広島5区) 1
伊藤 達也5 自民党 東京22区 5
高市 早苗5 自民党 奈良2区 4
武正 公一5 民主党 埼玉1区 3
前田 雄吉5 民主党 東海ブロック(愛知6区) 3
河井 克行6 自民党 広島3区 3
赤池 誠章7 自民党 南関東ブロック(山梨1区) 1
神風 英男7 民主党 北関東ブロック(埼玉4区) 2
山井 和則7 民主党 京都6区 3
玄葉光一郎8 民主党 福島3区 5
前原 誠司8 民主党 京都2区 5
秋葉 賢也9 自民党 宮城2区 2
市村浩一郎9 民主党 近畿ブロック(兵庫6区) 2
松野 博一9 自民党 千葉3区 3
坂井  学10 自民党 神奈川5区 1
小野寺五典11 自民党 宮城6区 3
山本 朋広21 自民党 近畿ブロック(京都2区) 1
松本 大輔22 民主党 中国ブロック(広島2区) 2
三日月大造23 民主党 滋賀3区 2
川条 志嘉24 自民党 大阪2区 1

地方の議員を入れたら、数えられないくらいである。

松下の製品を持って、市内を歩いて、50万円分を売ってこいという課題を出されたと、高市早苗が語っていた。この人は、奈良から大型オートバイを飛ばして、政経塾へやってきたという話だ。言うことは、あまり賢いとは思えないが、驚くほどの行動力だ。一般的に、特徴は、弁護士のような資格を持っていないが、彼らの特徴は口が達者で行動力があることだ。

基本を習ってきて、仲間が多いのは得だ。エリートコースとは違うが、永田議員は東大法学部で大蔵省の出だが、味噌つけた。00008_120 

国定教科書の変遷 公明党の責任  松下政経塾出身青年  潮目が変わった千葉7区補選  内閣補佐官=側用人説  美しい国日本 という考え方  教育基本法と公明党君の立場  安倍晋三首相の健康 松岡農水大臣、がんばってるが  美しい国 命をかけた祖国

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