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2006年2月28日 (火)

中国人お母さんの孤独ストレス

Kodoku2事件を起こした中国人お母さんの孤独ストレスは、他人事ではない。この問題は日本人が外国へ行った場合は、日本企業の従業員家族、奥さんは相当孤独らしい。逆に犯す側として考えなければならない。島国日本人は、内向きには元気がいいが、外部との接触はうまくない。

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大魔神佐々木投手の前奥さんも、アメリカでの生活が合わなくて、苦しみ、佐々木投手のアメリカでの野球人生の足を引っ張ってしまった。だいぶ前、一流企業の夫の赴任でドイツに行った歌手の岩崎さんも、現地で日本人とも、ドイツ人とも、うまく交流ができなくてストレスを抱えて、帰国して離婚してしまった。

levelcrossing_hp 日本に来ている外国人奥さんの立場、これはストレス抱えてかなり悩んでいると見なければならないだろう。中国人奥さん、幼児二人を殺してしまった罪は逃れられないが、同情すべき点は多いと思う。

英国(ニューカッスル)に娘がいるのでいろいろ聞いている。ニューッカスルの気候、冬はきびしいようだ。

metro_on_highlevelbridge 冬-厳しい冬の始まりは12月から。海に近い為か雪は比較的少ない方ですが冷たい北風が肌をさします。雨も多くなり、日も3時頃には沈みます。スキージャケットのような、雨、風、雪に対応できるジャケットが必要です。寒さに弱い人はキャンプショップなどで薄手の肌着を買うといいでしょう。DMARTという店の肌着もいいですよ。(引用)http://www.geocities.jp/hiyanewcastle/kikou.html

ne20england1 日本企業のイギリス進出に伴って、赴任する夫について日本の奥さん達が来ている。ニューカッスルあたりにも、一部上場のソニーとか、日産とか、丸紅コマツ、三井などの日本人家族がいる。大学や病院にも日本人はいる。

社宅があって会社によって生活は守られているが、同じ会社内の奥様同士だと上司の奥さんは上司風を吹かせ、本音で話ができないという。イギリス人の同じ世代の女友達といっても、女性も働きに出ているから、現地の友人はできにくい。子育て中の女性は、社会との接点がないので、孤独になりがち。

Aila2556 日本人奥さんは、働けるほど英語ができない場合が多い。子供が小さいと余計に働きにくい。なおかつ、日本でOLやったからといってイギリスでは働く技術にはならない。また、技術があっても、外国人には労働許可がなかなか出ない。その上、今は寒さが日本よりきびしいから、家にこもってしまう。

娘絵奈の家にそんな日本人奥さんが数人、子連れでKaidan2564遊びに来て、日本語で数時間しゃべって、相当ストレスが発散できたとか。子供も、家の中で走り回ってキャッキャ騒いでいたとか。数週間前には一緒に町の劇場にも行った話を聞いた。日本のお菓子を送った直後で、柿ピーなど袋ごと抱えて観劇して「日本にいるみたい」と奥さん方は嬉しそうだったと伝えてきた。

Child_2526毎週日曜日、日本の夕方か夜、イギリスの朝、電話が一時間くらいかかってくる。一時間しゃべっても電話代が200円くらいだと言っていた。安い電話でも音質はかわらない。彼女も、日本語で母親と孫娘の様子を話したりして、ストレス解消になっている。アイラは電話に出ても、まだ1歳半では話せないが、キーとか笑うのはスピーカフォンから聞こえてくる。

アイラはAila2541保育所では、カレが二人いて、三人で手つないで走りまわっているとか。イギリス人は幼いときから、ませているのか、チューをしたりとか、らしい。

先週は、アイラがインフルエンザで大騒動で、病院に一時入院していて電話がなかった。保育所へ預けられないから、夫クリスチャンと絵奈も交代で仕事を休んで、面倒を見たという。離れていると親の助けを借りられないから、こんなときは、ホームシックにもなるだろう。アイラは、今は元気のようだ。

views_from_gateshead2絵奈は日本の資格(理学療法士)があったが、イギリスの労働許可を一年近く講習に出て取って面接試験を受けて働けるようになった。ここまでたどり着くのは、周りの協力、運もないと到達できない。

PC_2654 家にこもることもないのは、8年もいればヨーロッパナイズされてはっきりモノが言えるようになったこともある。もちろん落ち込むことはあるだろう。イギリス生活を無難に送っているように見える。しかし、日本の方がらくだとも言っている。そりゃ、そうだろう。

日本では、医師の中でも労働がきつくて小児科医になりたがらないと聞く。こういう部分を、外国の医師など技術者が自由に日本で働けるようにしたら、どうだろう。牛肉だけでなく、人的交流をもっと広げてくれたら、娘も夫とともに日本で働けるのにと思っている。

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2006年2月 1日 (水)

ロマン薫る 日本大正村 明智を紹介

V3-1 私の子供の頃、大正時代が青春だった人々が多くいた。中学生になったとき、肩から掛ける白い布製の鞄を買ったら、それは大正時代のリバイバルだったようで、叔母さんは妙に懐かしむ様子だった。

01 連休初日、私が日本大正村へ行ったとき、司葉子(二代目大正村村長)が夫婦(相沢英之)で来村していた。前は夫相沢さんの方にライトが当っていたが、今では、司葉子の連れ、という感じになっている。初代村長は高峰三枝子 三時のあなたの司会。,「湖畔の宿」を歌って戦前戦後のスター。有名な人だったが、亡くなってからだいぶ時がたって、若い人は知らなくなった。

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Takaminem_1大正村=明智村は、明智光秀の生誕地であり、隣村に森蘭丸の居城、岩村城もある。明智村は、桑を植えるにはちょうど良い土地があり、大正時代は生糸の生産地として栄えていた。中津川市も主な生産は生糸だったが、山がちな地帯では桑を植えて蚕を飼い、生糸を取るには条件がそろいやすい。

05「夜明け前」にも、馬籠から生糸を外国へ輸出するために、中仙道を通って板橋に出て、横浜へ出かけてくる話がある。平地ではないから、コメの生産には向かない。それだけに、生糸を生産には、本腰を入れていたのだろう。それは、ここ明智村が、大正の香りを残しているのも無縁ではない。

03 大正村は、とても東京から行くには、不便な場所にある。こんな不便な場所だから、空襲にも焼けずに、古い文化が残っていた。そんな感じの場所だ。村全体が、大正時代が漂い、そのロマンを大切にしているようだ。

このカンカン帽子とか、パナマ帽を昭和20年代まで、うちの親父はかぶっていた。写真が残っている。

04 明智の大正村、妻籠の宿場町馬籠の藤村堂中津の市街地、この中山道とその周辺に、歴史を偲ぶ遺跡が多い。単なる風景と違って、歴史の重みが裏にあるから、想像力を働かせると、鑑賞していて飽きないものがある。

V1-2地図から見ると、恵那市から電車で来るのが妥当かな。車で来ると、町の駐車場はかなり完備している。500円は必要。入場料500円はらうと、大正ロマン館、大正資料館、大正の館、天久資料館、おもちゃ資料館が全部入れる。明治村のような整った施設とは違い、村全体を歩いて全部回ると、村人との交流もあり、いい運動だ。私のお勧めは、大正ロマン館、おもちゃ資料館、これはおもしろい発見ができる。 

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