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2005年12月 8日 (木)

インターネット創生期

K1734士通オアシスの親指シフトで入力に慣れて、ワープロが楽しくなった頃、秋葉原の電気街の店員に根掘り葉掘り聞いて、ようやく電話回線をワープロにつないだ。それは、平成の4,5年かな。

K1735 文字送信ができるようになった。ワープロで入力した文章を送信開始すると、文章の1行ずつが消えていくように伝送されるのが画面上で見えた。これで、フロッピーを宅急便で送る必要がなくなった、と嬉しかった。

送信中は、長い文章が順次消えていく。それをいつまでも見ているわけにいかないので、他の仕事をしてはまた画面を見に来る。そんな悠長な送信風景がついこの前まであった。これでも、フロッピーで送るよりはずいぶん便利になった。

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K1732この頃の機能に、相手がダウンロードする前だと、オアシス同士なら、取り消しできた。これは、同じオアシス同士だけ特典だったが。このワープロは、パソコンよりずっとたかった。このオアシスだって24万円以上した。パソコンはもっと高い。40万円は当たり前の値段だった。

私のインターネットの始めは、テープ(録音)起こしの仕事は、私がゴーストライターをやっていた関係で、インタビュー録音を書き取る作業が出る。それを入力者を募集してやってもらったのが始まりであった。

普通にエクセルで仕事が可能になった。また、周辺の会社にもパソコンが入り、インターネットが普及して使える人が多くなった。

 平成の初年ごろ、教育ソフトCAIのシナリオ作成者募集に応募したことがある。赤坂(地下鉄)の駅の数分、TBSに近くにある会社だった。塾で生徒を教えている経験を買われて、数学、社会の教科書から、コンピュータで勉強できる教材に書き換える仕事をした。1本につき、専用の便箋に200枚近く書いた。

 その脚本から、技術者が入力して生徒が使える1枚のCAIソフト教材ができる。当時、勉強のため、展示会や教材ライブラリーにも通った。展示会には名だたる揺籃期のゲームソフトの会社が集まっていた。「信長の野望」とか、興味引くゲームソフトを並べていた。教育ソフトはその頃から地味だった。

私の書いた社会のソフトはまだ未完成で、動きがある部分がメモリーは食うし、むずかしいと一部作成の展示だった。今なら、あの程度の動作は簡単だろうが、その当時は動きを式で書き込まなければならないから、技術者泣かせだったかも。

創業11年経つが、まわりに入力者が少なく、メール送信さえ出来ないから、フロッピーに入れて持ってきてもらった。各自の文豪、ルポ、オアシス等のデータをテキストに落として、それを読みこみ、ワードでまとめた。

最初の仕事は、相手の会社はソフト「桐」を使ったデータを作ることだった。ところが、データをエクセルに入れるのがやっとだったので、それをテキストに落として読み込んでもらうのだが、こっちもシロウト、相手の会社の女性も桐は覚えてもテキストデータを読み込むのができなかったり、とにかくうまくいかないので、呼び出されてやるのだが、汗ばかりかいて進まない。苦しい思いがある。

 テキスト化する意味も、最初は理解できていなかった状態で仕事として始めたが、それから十数年、仕事の中で、技術を覚えてきた。誰かについたり、学校で技術を習うわけではないから、進歩も遅々として進まない。覚えた技術は(大したものはないが)できるだけ開放して、手を組み合って進もうと思う。

最初、マックもウインドウズもわからないから、この仕事をしてほしいという会社から頼まれて指導を受けたりした。都合よくマックがいいと吹き込まれて、マックを買う。これは、今のウインドウズの機械なら2台買える高価なものだった。しばらく使ったら、ウインドウズが主流だと気づいた。

試行錯誤の十数年、ようやく、信頼される仕事場になり、昨日も、某大学の研究室から、「いい仕事をしてくれると思っているから、ここの先生にPRはがきを拡大してFAXして送ってください」と電話があった。ありがたいことだ。

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