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2005年10月31日 (月)

データ入力依頼→納品まで

Genkou0878   今朝、宅急便で依頼が来た。それを依頼者に「原稿が着きました」というメールを出した。すると、電話で、入力の注意を頂いた。生年月日を西暦下2桁/月2桁/日2桁でスラッシュ(72/10/25)入れてほしい、との要望。

あと、①原稿を受けた覚書、②入力済みデータの破棄証明、③原稿返送伝票。相手の会社のプライバシー取扱い基準を確認する。Pマーク基準に合わせて、仕事をしている。あとは、納品方法を確認する。http://www.nozawa21.com/Gyoumu/Data

00004Kokuti 次に、入力者に連絡。これは、必要な労力を必要なときに来てもらうためのシステムである。子供が幼稚園、保育所、学校に行っている間、パートから帰った余暇を生かせるようになっている。緊急の時は、登録オペレータにメールを入れる。

00004deta エクセルデータに間違ったデータを入れていないか、チェックは入力1件につき10秒間見直す。全体のデータが入った後、各セルをチェックする。高い精度な仕事をしている。振り仮名や、郵便番号の扱いには、自信がある。

ぜひ当社を利用して、データ処理をしてみてください。http://www.nozawa21.com/Rennraku/ank.htm  事前お問合せ

オペレータの時間を有効に使えるシステムで運営されている。40名は集まることが可能である。大きなデータ入力も、精密な処理が可能である。00008_14_23 

録音起こし料金  録音起こし アンケート  文書レイアウト   タックシール作成  ホームページ作成  文字ベタ打ち  人材派遣  発送代行  ゴーストライター  システム開発   契約下請けプロジェクト   モバイルコンテンツ  データ入力依頼→納品まで  DM宛名 データ入力10円  年賀状の宛名(ハガキ表)印刷   アンケート処理入力 廉価の理由

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2005年10月24日 (月)

佐倉武家屋敷三軒

Tonbow_0655 バス停を降りると、秋の陽射しの中、とんぼが止まっていた。江戸時代も、今も、かわりなくトンボは生きている。生命の営みが営々と続いてくる。武家屋敷の家並みは、土塁と生垣に囲まれ、静かだった。3軒で入場料210円とは安い。

見学210円(旧河原家住宅、旧但馬家住宅、旧武居家住宅3棟共通)。旧堀田邸、佐倉順天堂記念館との共通券は520円

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BukeYasiki佐倉市は相当力を入れているが、秋田角館の武家屋敷ほど観光客はいない。佐倉藩の米の収穫が上がらない貧しさが、ここにも影響しているのだろうか。

前から佐倉市に提案したいことがある。観光課の職員が小布施市を視察して、佐倉を改造するべきだ。佐倉には観光資源がかなりある。これを生かす努力が不足している。小布施市には観光客をあきさせない工夫と努力が随所にある。佐倉はまじめではあるが、遊びの部分が少ない。

Bann0661 窮乏した財政の佐倉藩であったが、三軒の武家は、今の県職員住宅である。340石取りの高級武家、高級の県職員のわけだ。次のランクが150石、その下は100石以下ランクの武家が住んでいた。ここの住宅にすむ人は、今の県職員だから、引越しが多い。(一石は、成人男子が一年で食べる米の量)

houkou_0730 佐倉藩は親藩で13万石であっても、裕福ではなかったらしい。千葉県佐倉は丘陵地で坂が多く、米が取れる農地はすくなかった。飛び地の領地が福島県蔵王に6万石分、千葉県の銚子にもあった。佐倉地域だけではやっていかれない現実があった。

House_0696c かつ、印旛沼の氾濫が多く、利根川上流で大雨が降ると印旛沼は氾濫して、米の収穫にすぐ影響したから、コンスタントに13万石が実収入となることは少なかった。格式だけは、13万石相応の礼を取らなければならないので、内情は厳しかった。

Kamado0663340石取り、高級武家といっても、精米された米が支給されたわけではない。家の周りには畑があり、食べ物は自給自足だった。

田畑を割当てられ、そこからの収穫が340石ということである。だから、額面通りの収入というわけではない。豊作、凶作があり、額面通りの収穫がある年の方が少ない。しかし、年貢は額面通り取られる。これが昔からのやり方。

Kamados0711 Tyouzu0685 彼ら、入居者武家は、県職員であり、転勤族だった。家の中の調度品等は、すべてもってあちこち飛び地の離れた地域へ、家財をもって移動した。調度品は少ないが、大きい物は竃カマドだったようだ。

Entr0698 これは、案内のボランティアガイドの方が、説明してくれた。このガイドは、春と秋の土日など観光客の多いとき働いているそうだ。案内があるとないでは随分ちがう。

 以下の文章は、引用 http://www005.upp.so-net.ne.jp/shigas/HOMPG297.HTM    全国武家屋敷を見て回る人のようだ。

Bukeyasiki 今度見た佐倉武家屋敷三軒は最近市が整備公開したものである。案内書には地形上防備の弱い東側一帯を武家屋敷、神社仏閣で補強したとある。屋敷は表を低い土塁で塀代わりとし、裏を竹藪としている。守りへの配慮か。三軒の内一軒だけは移築の小禄(90石)武士の家である。ここ鏑木小路は多分上級武士の住宅地帯だったから、その家はちょっと釣り合わぬ存在である。残りは300石以上、100石以上の家で、丁度比較できるようになっている。

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